初夏の大垣を彩る祭り囃子、たくさんの露店、幻想的な夜宮の灯り。楽しみな大垣まつりも、もう目前!
さて、360年余の伝統を誇るこの絢爛豪華な大垣まつりは、平成28年12月、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。今年も13両の


大垣祭の
行事がユネスコ無形文化遺産に登録
国の重要無形民俗文化財からユネスコ無形文化遺産の登録へ
27年3月2日、大垣祭の
岐阜県では高山祭の屋台行事や郡上踊などの民俗文化財が既に国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、今回大垣祭が指定されたことで、合わせて11の民俗文化財が指定となりました。また、大垣市内では初めての国の重要無形民俗文化財となります。
重要無形民俗文化財の指定では、大垣祭の次の点が評価されました。
- 大垣藩主下賜(かし)の
と町衆の
の併存する形態。この形態は全国的にも希少。
上で奉納される多彩な芸能。
- 滋賀県の長浜曳山祭りの舞台型式や、愛知県の名古屋を中心とするからくり山車の型式など、周辺地域の祭礼文化を取り入れつつ、大垣独自の様式を形成。これは国内の山・鉾・屋台(やま・ほこ・やたい)行事の伝播や変遷を理解する上で重要。
そしてユネスコ無形文化遺産への登録
文化庁から国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録提案されていた本市の「大垣祭の
大垣市の文化財としては、初の登録となります。
ユネスコ無形文化遺産の登録に関する大垣祭の特色
- 大垣祭の
行事は、大垣の城下町祭礼として伝承されてきた美濃地方を代表する祭礼行事であり、大垣藩主下賜(かし)の
と町衆の
が併存する形態は全国的にも希少。
- からくり人形には中京圏の山車(だし)行事、
上(やまじょう)の芸能には近畿圏の山車行事の影響が色濃く、東西の祭礼文化の交渉がうかがわれるなど、国内の山・鉾・屋台(やま・ほこ・やたい)行事の伝播や変遷を理解する上で重要
大垣祭の芸能やに用いられた技術、祭を行うことの意味やそこから広がる世代を超えた多くの人々への影響、その大切さが国や世界で認められる。それはとても誇らしく、嬉しい事ですね。
大垣まつりは毎年5月15日直前の土、日曜日に開催されます。
皆さんもこの機会に、おまつり当日はもちろんイベントもぜひぜひチェックして、様々な角度から大垣まつりを楽しんでくださいね。
風俗慣習、民俗芸能そして民俗技術と文化財の種類は数多く、そのどれもが人々の暮らしの中で形作られてきたものたちです。
旅行へ出かけたとき、テレビや雑誌で見かけたとき、こうした無二の民俗文化財に目を向けてみることで、日本の文化・人々の暮らしの文化をより強く感じることができますよ。
現在日本では、国重要無形民俗文化財として合計294件の文化財が指定されています。(2016年4月現在)
どんな文化財が登録されているか、詳しくは文化庁ホームページ

無形文化遺産とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものという定義があります。
祝!ユネスコ無形文化遺産登録
文化庁から国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録提案されていた大垣市の「大垣祭の行事」を含む「山・鉾・屋台行事」は、平成28年12月1日にエチオピアで開かれた政府間委員会で審査され、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。大垣市の文化財としては、初の登録です。
大垣まつりの概要
1648年に藩主の戸田氏鉄が大垣八幡神社を再建した時、城下の十か町が十輌のやまを造り曳回したのがはじまりとなり、1679年に藩主の戸田氏西から三輌のやま(神楽やま(かぐらやま)、大黒やま(だいこくやま)、恵比須やま(えびすやま))が下賜されたことによって、合わせて十三輌のやまが城下で賑やかに曳き出されるようになりました。
このやまは、濃尾震災や戦火によって多数失われてしまいましたが、その後、修復や復元などによりやまの再建が進められ、2012年には70年ぶりに十三輌のやまが勢ぞろいしました。
大垣まつりで行われる出やま巡行のうち、まつり1日目に行われるものを「試楽(しがく)」、2日目を「本楽(ほんがく)」、両日の夜に行われるものを「夜宮(よみや)」といいます。
試楽では、大垣八幡神社に全てのやまが参集し、鳥居の前で、奉迎と称してからくり人形や子どもの手踊りなどが演じられます。その後大垣市役所まで市内を巡行し、市役所前で各やまがからくり人形を披露。夜になると再び大垣八幡神社に集まって夜宮を行います。
本楽では、試楽と同じように大垣八幡神社で全てのやまが奉迎を行い、その後、1日かけて十三輌のやまが行列を組み、城下町を巡行します。
また、両日行われる夜宮では、各やまに提灯を一斉に灯し、順番に奉迎し、手古(てこ)と呼ばれる曳手たちがやまを前に傾け、左右に回転させるやま廻しが行われます。たくさんの提灯で彩られたやまが勢いよく華やかに動く様は、昼間とは一味違った大垣まつりを味わうことができます。本楽の夜宮では大垣八幡神社の神輿も加わり、より一層の賑わいとなります。
大垣まつりの特徴でもある2.2里(約8.8キロメートル)の本楽やま巡行は、東回りと西回りの年次交代で行われています。
やまと共に大垣のまちを巡りながら、祭りの賑やかさを、受け継がれてきた大垣まつりを堪能してみませんか?
大垣まつり基本情報

- 試楽:2023年5月13日(土)
本楽:2023年5月14日(日)
夜宮:2023年5月13日(土)のみ - 試楽:8:15〜21:00
本楽:8:30〜18:00 - 大垣市八幡神社前、大垣市旧市内一円
- 有り
- 交通規制有り
-
大垣まつり実行委員会(主催)
大垣観光協会(奥の細道むすびの地記念館内)
- 0584-77-1535
大垣市役所 商工観光課内
- 0584-81-4111
- https://www.ogakikanko.jp/event/ogakimaturi/
やまのルート

やまの通るルートは地図のようになりますので、やまを見物するときの参考にしてくださいね。祭り期間中の交通規制と、駐車場・トイレの位置等も記載してありますよ。
やま巡行の雨天中止等については大垣市観光協会ホームページ



巡行するやまの位置をリアルタイムにインターネットの地図上で確認することができるので、ぜひこのサイトでお目当てのやまをチェックしてくださいね。
相生やまのからくり人形を操る人形方の紹介 〜西美濃な人〜


国の重要無形民俗文化財の「大垣祭(大垣まつり)のやま行事」。昨年末には、全国32件の「山・鉾・屋台行事」とともに、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産にも登録された。登録後初の「大垣まつり」は、5月13、14日に開催され、13両のやまが岐阜県大垣市中心部を曳き回される。やまの上では、からくりや踊りが披露され、華麗な祭礼絵巻を繰り広げる。相生やまのからくり人形を操る伊藤友紀子さんは人形方としては珍しい女性。「たくさんの人に見ていただくのは緊張しますが、喜んでもらえたらうれしい。大垣のまつりから世界のまつりとなった大垣まつり。今年も多くの人に見に来ていただ…
2017.05.01掲載
続きはコチラから→
やまと芸能の披露について
練り物である朝鮮人行列は近代初頭に廃されて遺品のみ残されている状態なので、現行は曳山のみとなります。
この大垣まつり最大の見所である曳山、これに付随している趣向や芸能は実に多様です。
【やま】
やまは人形やまと芸やまに分けることができます。芸やまとはやまの一部を舞踊や歌舞伎などを上演する舞台面としたもので、大垣まつりに即していえば、船町の玉の井やまと伝馬町の松竹やまとなります。この2つ以外の十一輌は人形やまに区分され、こちらは更に3種に分けられます。恵比寿やまと大黒やまのように比較的大型の人形を飾るもの。なんらかの形で人形を操るもの。この操る人形は華麗で精妙な人形からくりと素朴で特異な杖頭人形の2種類があります。後者の杖頭人形を配しているのは、神楽やまのみです。
このようにやまの構造やからくりの機構が複雑になっている要因の1つとして、たびたびの災害すなわち水害・地震・戦禍によってやまの破損、焼失に見舞われたことが挙げられます。人形ややま本体が焼失、または洪水で流されたという経験を経て、他町村からやまを購入、古写真を参考にして腕のよい職人によって造りなおされた結果、現行のやまの形となりました。その中でかろうじて災害を逃れた人形ややまは補修を繰り返しながら現在も受け継がれています。
【錺金具】
大垣まつりで私たちが目の当たりにするやまは、本体が建造されてから、そこに町の人々が風流を凝らし施してきた装飾に満ちています。とりわけ金色に輝く錺金具は、やまの荘厳性をいっそうきわだたせ、祭礼全体の賑わいと華やかさを醸す主役の位置を占めています。しかし、これらの錺金具は1891年の濃尾地震や1945年の空襲などに遭い、江戸時代の錺金具の窮状を窺い知れるやまは極端に少なくなってしまいました。その錺金具を今後あるべき姿で後世に残し、また欠失した金具を復元していくために、各関係者は力を尽くして日々取り組んでいます。
【芸能】
現在の大垣まつりのやまに伴う芸能には、謡曲が強く寄り添っています。つまりはからくり芸の趣向のほとんどは謡曲に取材し、謡や脳囃子がからくりの最中に流されます。場合によってやまの名称そのものに採用されているように、能あるいは謡は密接に関わりがあります。
一方、近世後期では、歌舞伎や浄瑠璃の流行が大垣にも及び、失われた新町の小船やまでは、1891年まで浄瑠璃の地で舞踊を演じていたといわれ、船町の玉の井やまもかつては子供歌舞伎を演じていたそうです。その後歌舞伎狂言からそれを取材した舞踊まで時に応じて自在な演出が考案されて上演されていたと考えられています。
それらの経験を経て、且つその時代、その世代の流行などを取り入れた結果、現在では主に能囃子を伴奏として使用し、それにあわせてからくりが、子どもたちが華やかにかわいらしく舞っています。
まつり当日まで子どもたちは、各社務所などでそれぞれ囃子や舞いなどの練習を一生懸命行っています。
その他、各やまに配された趣向を凝らした人形たち。時には災害により破損、焼失したものもありますが、職人達の手によって蘇り、現在の大垣まつりを形作っています。
大垣まつりの今と昔
造られてから幾度の災害を経験し、その度に各地の職人の手によって蘇ってきたやま。
当時の施策などによって時代に合わせて変化してきた祭礼の様子。
そんな大垣まつりの移り変わりの様子を紹介します。

巡行の行列において先頭を勤める
三輌やまの一つ。

神楽やまは、今までに炎災による三度の焼失を経験していて、現在に伝わる人形は1948年に作られたもの。
やま及び付属品は、1949年に三町から四万円ずつ出し合って造られた四代目。

三輌やまの一つ。神楽やまと恵比寿やまと同じくらいの大きさ。
創建当時より何度も災害にあっていて、その都度職人の手によって蘇ってきたやま。
創建時は左甚五郎氏。現在は滋賀県米原市丹生の谷口喜蔵氏の作。

やや小型の棚草に置き人形が載る飾りやま。
お頭については霊異譚があるが、1962年に無事塗り替えられ、白いお顔に戻っている。

三輌やまのうち大垣空襲で焼失しなかったのはこのやまのみ。
1920年に解体修理。口からお頭内部を覗くと修理した人の人名の墨書が確認できる。

謡曲「高砂」を題材にしたところから、「高砂やま」とも呼ばれる。
そして朱塗りのため、「朱のやま」ともいわれるやま。

1887年に吉岡座からの出火で神楽やまと共に焼失、ほどなく1892年に再建。
しかしその後、新調・補修などをするも大垣空襲にて再び焼失。
1996になって漸く再建されたのがこのやまとなる。

古来謡曲「加茂」にちなんだやま。
離れからくりを披露するのは、この布袋やまのみ。

明治初年の神仏分離の影響により、布袋やまの名称が変更されてできたのが旭やま。
濃尾大震災や空襲により焼失したが、その都度再建された。
現在の布袋やまは、2011年に焼失前の古写真をもとに、姿が似ているとされる菅原やまをも参考にして制作された。

別名「天神やま」。
このやまの見送り幕には、大垣市出身の大橋翠石[おおはしすいせき]画伯による虎が描かれている。

1914年に再建。
1916年の祭礼では白木のままで曳かれたが、1924年に桑名の塗師によって漆が塗られた。

昔から鯰押えのからくり芸で一貫して通している歴史あるやま。

鯰やまは1758年に焼失。それに伴い、魚屋町の道外坊が一両年祭礼を勤めた時期がある。
濃尾震災や大垣空襲による被害を免れ、今日に伝えられている貴重なやま。

江戸時代当時は朝鮮やまと称していたと伝えられるやま。


朝鮮人行列。風流は「大将官」「大職冠」と呼ぶ正使の人形を載せた曳き物を中心に、異国風の装束に異国風の楽器をもった人々が続く行列。
この行列にはいろいろな呼び方がある。

朝鮮人行列は明治時代に神仏分離令など明治政府の施策によって廃止となり、替わって1870年から榊やまが新造され現在にいたる。

複数回の大改造、大修理を経て、近代に立派に造りかえられたやま。

浦嶋やまは1945年に大垣空襲にて焼失。
以来俵町はやまのない町となっていたが、2011年に焼失前の古写真を参考にしながら再建。2012年に曳き回された。

このやまの名称は、海幸山幸の伝説をもとにした能「玉の井」からきている。
当初は石曳やまと呼ばれていたやま。

1815年の大洪水で大破したため、芸やまに改造し、子ども歌舞伎を演じるようになり、戦後は少女の踊りを上演するようになった。

琵琶湖の景勝地である竹生島の弁財天を首座に配することで、別名「弁天やま」とも呼ばれている。
からくり人形と舞踊を併用した唯一のやま。

大垣空襲により焼失し、その後青年団の有志で荷馬車の台車をやまに仕立てて巡行に供した。
月日を重ねるごとに、白木の舞台付芸やまの購入、塗装、金具などの飾り付けを整えていき、現在の姿となった。

やまの中で一番長いやま。
当初はやまに愛宕の小祠をのせていたといわれている。

1812年の大火災、1891年の濃尾震災などの災難を逃れたたやま。
しかしその後、大垣空襲では神功皇后の頭などが焼失した。この時やま本体などは無事だった。

名称は謡曲「猩々」からきている。
以前は前方左右に輪があり、10メートルほどの縄をつけて子どもが曳いていた。

このやまは二度にわたり災害にみまわれ焼失。
1945年、戦災で惜しくも焼失した先代の猩々やまが、2001年に56年ぶりに白木で復元され、以降、漆塗り・金具・彫刻が施された。

八幡宮の改築が行われた際に城下十ヶ町はやまを建造した。その時に新町は小船山を建造したことが記録に残っている。
その後、1798年の「八幡宮御祭礼行列帳」には船やまの記載があった。
この船やまは三つの車輪を用いて曳き、浄瑠璃によって舞踊が演じられたというが、1891年の濃尾震災により焼失。
その後1916年に菅原やまが建造された。

神幸に当たり、神体を奉安する輿を神輿という。
基本的な構造としては屋根・胴・台輪から成り、屋根の中央に鳳凰または葱花を据え、端には蕨手がつく。
これが八幡神輿の場合は、鳳凰、稲荷、天神は葱花。
台輪には二本の棒を縦に貫いて轅とし、舁ぐときに横棒を取り付けることとなる。
文化庁文化財部 監修(2014)『月刊文化財』第一法規
- イベントの詳細は各会場へお問い合わせください。
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