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第二十八番札所 護国山 宝延寺

第二十八番札所 護国山 宝延寺

寺院紹介

 西美濃三十三霊場第二十八番札所である、宝延寺(ほうえんじ)は、花崗岩の寶篋塔が文化財として保存され、周囲には五輪小石塔が数多く掘り出され並べられています。無住の観音堂とも言える寶延寺の本尊十一面観音菩薩は厨子の扉少し開けて立ち、右祭壇には等身大の観音は信者の手の様に見える。左は弘法大師である。

お寺の御朱印 お寺の写真 お寺の写真

基本情報

宗派 浄土宗
本尊 千手観音
創建 不詳
開祖 不詳
ホームページ

歴史

 今、宝篋印塔のある蛇池地区は、明治5年(1872年)以前は脇田村と称した。一宮市千秋町竜光寺所蔵の春日版大般若経七巻の裏面に「美濃国脇田郷増福寺」という魚形の黒印がある。この増福寺が、江戸時代以前脇田部落の南方の字前並に存在していたと伝えられている。この宝篋印塔はこの増幅寺の墓地にあったが、慶長8年(1603)の横江切れの大洪水で寺が廃絶したので、現在の宝延寺の観音堂境内に移したものといわれている。現在は、蛇池142番地の西南隅に、東西6.70m、南北4.70mの石の柵をめぐらし、東に入り口がある。その柵内西奥の中央に大形の宝篋印塔1基があり、その前と左右に小形宝篋印塔3基と五輪塔70余基がある。この大形宝篋印塔は、高さ1.91mの花崗岩製で、縦横1.95×1.91m、高さ0.15mの敷石上に立っている。塔の基礎(台座)は高さ0.44mで、四面に格狭間を刻し、その両縁に銘文がある。この塔は、古来頼光塚といわれてきた。源頼光(948-1021)は、平安中期の武将として余りにも有名である。平安時代の宝篋印塔は全国的にも一つも存在せず、鎌倉時代以後のものとされている。ここ、蛇池のものは、その形式から考えて、銘のごとく鎌倉末期の正安2年(1300年)の造立と考えるべきである。頼光は国々の守を歴任し、たまたま長和年間(1012年~1016年)美濃守であったから、頼光塚とされたのかも知れない。おそらくこの地方の豪族の墳墓か供養塔であろう。ともかくこれは本県に遺存する宝篋印塔では、最も古いものである。

交通アクセス

【アクセス情報】
住所  : 岐阜県海津市平田町蛇池144-1
連絡先 :
アクセス:
  • 大垣駅前岐阜乗合バスターミナルからお千代保行バス終点下車 徒歩6分