第七番札所 城台山 一心寺
寺院紹介
西美濃三十三霊場第七札場である、一心寺(いっしんじ)の寺院へは、竹藪の中を通る一本道で、見晴らしの良い境内へ出る。大石を積み上げて造る境内は、急に晴れて幽玄に見え、弁殻を塗った本堂と鐘楼が現れて、鐘楼台からは部落の点在する平野が見渡せ。本尊は、阿弥陀如来。
北アルプス槍ヶ岳開山で知られる播隆(ばんりゅう)上人が開祖となる寺である。正式には「播隆院一心寺」で、「ばんりゅうさん」の名で親しまれている。
播隆は山岳にその浄地を求める独修独行の念佛行者と言われ、江戸時代後期、伊吹山での修行の折、揖斐にもお招きしたのがきっかけで、当時の領主 岡田善功(よしかつ)の家老 芝山長兵衛が播隆のために阿弥陀堂を建てた(1830年)のがはじまりといわれる。「阿弥陀堂」は第一期揖斐城趾の南の丸にあった。
播隆は槍ヶ岳開山の偉業をなしとげた後、揖斐の阿弥陀寺に戻る途中で、登山の怪我が悪化して美濃太田で亡くなった(1840年)。59歳(55歳説あり)。播隆の墓は一心寺の裏手にあり、美濃太田、郷里の富山県の3箇所にある。一心寺には「地獄絵図」があることでも知られ、春秋の彼岸に展示される。一心寺は、近年長らく尼寺として知られてきたが、現在は無住となっている。
基本情報
宗派 | 浄土宗 |
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本尊 | 阿弥陀如来(十一面観音) |
創建 | ― |
開祖 | 播隆上人 |
ホームページ | ― |
歴史
一心寺(いっしんじ)は,揖斐町大字三輪城台山中腹にあり、浄土宗鎭西派であった。天保元年(1830年)幡隆上人山上に一宇を創建し、御堂關白大納言女華等院より,後水尾天皇御菩提のため、本尊及び御尊牌を下附される。はじめ、阿彌陀堂と言っていたが、明治12年、一心寺と改寺した。明治24年大震災に堂宇倒潰したが、同26年現地に再建した。
交通アクセス
【アクセス情報】 | |
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住所 : | 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪2924-1-2 |
連絡先 : | 0585-22-0484 |
アクセス: |
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