第六番札所 医王山 東光寺
寺院紹介
西美濃三十三霊場第六札場。東光寺にあるこの御本尊は昔から乳薬師と言われ、産後乳の少ない婦女子がこの薬師にお参りをし、甘露のような霊乳を授かったという言い伝えも残っている。
基本情報
宗派 | 臨済宗 |
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本尊 | 薬師如来(千手観音) |
創建 | ― |
開祖 | ― |
ホームページ | ― |
歴史
当山の創開は、一千有余年前、天台宗の開祖最澄伝教大師によるもの。大師が諸国を御遍歴になる途中、しばらく当地に留まり、瑠璃殿を建立、医王山東光寺と名付けられた伝承がある。現に奉安してあり、御本尊薬師瑠璃光如来は大師御自ら一刀三拝され、彫刻された霊仏と伝えられている。寺号の東光寺は東方薬師瑠璃光如来の東光に由来するもの。
天台宗として創建された当山は、650年ほどして永正年間(約490年前)、寂光大照禅師(天縦和尚)の法嗣である大宗宗弘和尚(本巣郡上之保慈雲時)が当山を兼任、諸堂を再建、あるいは増築、その後、寂光大照禅師を謹請し開山様と仰ぎ、法嗣である岐秀元伯和尚を後継者とし慈雲寺へ戻った。当山が天台宗より禅宗に転じ、しかも法灯を絶やさず今日に到るのは大宗宗弘和尚の賜である。
三世岐秀和尚は快川和尚と並び称される絶世の大禅家で諸国から非常に多くの修行者が集まり、寺中には六塔頭(耕月院、円珠院、梅隣院、吟松院、独笑庵、睡足軒)がある。やがて時の雄将、武田信玄の母、大井夫人の求めに応じ甲州の長全寺に赴かれ、晴信を信玄と命名したことは有名で、永禄五年(1562年)まで信玄公の師として活躍した。
五世無門稔和尚の頃、(1600年)各地で戦乱があり、救庵産公首座が時の県主西尾豊後守光教公から境内除租黒印、及び五段制札を頂き、庇護を受けて復興された。
その後、快伝宗薫和尚が瑞厳寺の二世空山和尚の法を嗣いで当山に入り、14世覚宗性和尚の代になって、大野町古川に地蔵寺を末庵として建立。18世当山再中興霊海玄妙和尚は16世起山和尚の遺志を継ぎ、本堂を再建された。現在の本堂がまさにこれであり、鐘楼も同じ年代で約180年前といわれている。
交通アクセス
【アクセス情報】 | |
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住所 : | 岐阜県揖斐郡揖斐川町小野135 |
連絡先 : | 0585-22-1043 |
アクセス: |
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