活堂(元益)は文化3(1806)年3月、西洋医学の先覚者といわれた江馬蘭斎の孫として誕生。幼名・益也。隠居後、活堂を名乗る。明治24(1891)年1月に86歳で亡くなる。藤渠は雅号。「藤渠漫筆」をはじめ、「勤方記録」や「近聞雑録」など多数を著わしている。「藤渠漫筆」は40編119冊あり、大垣地域だけでなく、他地域も含めて、自然、歴史、医術、宗教、民俗など多種多様な内容が含まれている。2003(平成15)年度から11年かけて編纂された「平成の大垣市史」の「資料編 近世一」でも大垣に関する分が掲載された。
市立図書館では、全体が活字化されれば多方面での活用が期待できると考え、2014年度から4編づつを1巻にして毎年度末に刊している。活字化は市史編纂に携わった横幕さんが担当。今年度末には第5巻が刊行される。計画では第10巻まで発刊される予定。資料講座は、市民からの要望もあり、2年後にスタート。毎回、横幕さんが講師を務めている。
今年度の講座は、昨年度末に発刊された第4巻がテキスト。1月23日の今年度初回の講座では、活堂が藩医を引退後の文久2(1862)年2月20日から3月17日まで関西を旅した様子を記した「文久二戊年西遊紀行」を中心に分かり易く説明。「弟子や門人もたくさんいたんですね」などと、登場人物と活堂との関係のほか、病人を治療したり、あちこちで骨董品を買ったことなどを話した。文中のコラムなども紹介した。受講生たちはペンを手に熱心に聴き入っていた。受講生の中にはは歴史を調査・研究している人も多く、専門的な質疑応答もあり、毎回充実した講座だった。1月30日の2回目では、「美濃国大井荘大垣八幡宮縁起」を中心に勉強した。3回目は2月6日、最終回は同20日に開かれた。
高校2年生のころから歴史が好きだった横幕さん。岐阜大学の史学科で学んでいたころから古い記録書を読んでいたという。「平成の大垣市史」には、市史編纂室長を務めた清水進さんとともに最初から最後まで携わった。「藤渠漫筆を読むことで、これまで分からなかったことを解明することも多い。『大垣藩城代日記書抜』に書かれている『大臼三昧(だいうすざんまい)』の場所についても、藤渠漫筆の『元禄五年御用控云』で特定できた。あちこちに足を運んでも分からなかっただけに、見つけた時は本当にうれしかった」と語る。
歴史好きな横幕さん。「藤渠漫筆はあちこちで活用されているが、全部は珍しい」と市立図書館での刊行を喜ぶ。「江馬活堂の著作のうち、医者をしていた時に書かれた『勤方記録』は既に一部活字になっている。活堂が生きた時代を記録した『近聞雑録』100冊と『続近聞雑録』13冊も活字化したい。これからの目標です」と話す。
2019.03.01(子林 光和)