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生まれ育ったふるさとに戻り創作活動を続ける版画家、傍嶋 康博さん(66)

傍嶋 康博さん
傍嶋 康博さん
 東京を拠点とした生活から、4年前にふるさと・岐阜県神戸町へ44年ぶりに戻った傍嶋康博さん。「身近にある風景や自分自身は変わったが、伊吹山や御嶽山は小学校の行き帰りに見た昔の風景と変わらないまま私を迎えてくれた。子供のころからの友人も多く安心して戻ってこれた」と、感謝の意味を込めた地元での初の個展を今年3月に町立図書館、そして4月には中央公民館で開いた。タイトルは「あの日、あの時」。会場には、この4年間に制作したリトグラフや立体オブジェなどの作品が並んだ。「小・中学校時代の友人だけでなく、多くの町民の方に来館して見ていただいた。ありがたい。これからも自然に囲まれ、野菜作りを楽しみながらゆっくりと創作活動を続けたい」と傍嶋さんはにこやかに語る。

ふるさとでの個展「あの日、あの時」 = 岐阜県神戸町中央公民館
ふるさとでの個展「あの日、あの時」
= 岐阜県神戸町中央公民館
 子供のころから絵が好きだった傍嶋さん。父親の後押しもあり、岐阜県立大垣南高校を卒業後、東京芸術大学、そして同大学院で油絵を学んだ。その後、母校の東京芸術大学で助手をしていた40年近く前、1カ月近くをかけてギリシャやイタリア、フランス、イギリスでヨーロッパ美術を見て回る機会に恵まれた。ナマで見る作品から伝わってくる、歴史の深さ、スケールの大きさに圧倒された傍嶋さんは、帰国後、新しい道を探して「当時はまだ未知の世界」(傍嶋さん)だったリトグラフへの道に進んだ。版画家としての活躍は素晴らしく、国内外の展覧会に数多く出展。結婚して長男が生まれてからは「ちちん家族」、猫を飼い始めてからは「にこにこにゃんにゃん」シリーズで作品を次々と世に出してきた。


ヒノキの木片で作った
立体オブジェ
 ところが、5年前にふるさとで1人暮らしをしていた母親が交通事故に遭い病院に入院。創作活動の一方、大学や予備校の教壇に立っていた傍嶋さんは仕事が残っており、妻・昭子さん(65)が一足先に神戸町へ引っ越し母親の介護を始めた。翌年には傍嶋さんもふるさとに戻り、自宅裏にアトリエを構えた。「1男3女の長男なので、将来的には神戸町に戻ってくる予定だったのですが、突然のことでびっくりしました。色々ありましたが、子供のころの友達が助けてくれた」と、振り返る。個展「あの日、あの時」では、伊吹山や御嶽山を描いた作品に、俗世界と神聖な世界を隔てる意味を込めた鳥居や柵が描かれている。ヒノキの木片をサイコロ状に切った立体オブジェには花や虫、動物が描かれ、幻想的な雰囲気だ。現在は、アトリエ前の家庭菜園でトマトやナス、キャベツなどの野菜を栽培するなど、ゆっくりとした生活を送る。トマトは種苗会社から取り寄せた日本古来の種をまいて育てるなど、本格的。家庭菜園では四季を通じて野菜などが栽培されている。


「あの日、あの時」シリーズの作品
「伊吹山-III」
 傍嶋さんには4人の男の子供がいるがすべて芸術家。長男・泰雅さん(40)はWEBデザイナーとして活躍。二男・飛龍さん(38)は画家であり版画や万華鏡も。三男・賢さん(35)は壁画家で巨大壁画を手掛ける。四男・崇さん(33)は油絵画家。重量感ある作品はファンが多い。今年11月11〜23日に、川崎市中原区の小杉画廊で3回目の家族展を開く。
 子供のころからの親しい友人たちに囲まれ、ふるさとにどっしりと根差した生活に戻った傍嶋さん。「ふるさとでは、日常的に文化に触れあうことは難しいが、豊かな自然があり、親しい友がすぐそばにいる。ふるさとで始めた『あの日、あの時』シリーズの創作を続け、70歳くらいには画集を出したい」と、意欲的だ。
2014.07.01(子林 光和)

今回の西美濃な人

傍嶋 康博(そばじま やすひろ)

 1987年から日本版画協会員。2001〜09年は理事。大英博物館(イギリス)、バリストー美術館(同)、ニューサウスウェールズ州立美術館(オーストラリア)、ティコティン日本美術館(イスラエル)、北九州市美術館に作品が収蔵されている。空手3段。高校や大学の空手部の指導者や監督も務めた。健康法は速足で歩くこと。夫婦で夕方、公園などを歩くという。岐阜県神戸町瀬古の自宅で妻と2人暮らし。