私が住んでいる所は、金物の神である金山彦命を祀る南宮大社の近くで、宮代という地名は御社(みやしろ)から転じたと聞いたことがあります。
今日は、御樋代木奉送迎という神事がありました。ご存知のように天照大神を祀る伊勢神宮は二十年に一度建てかえられ(式年遷宮)、ご神体である八咫の鏡(やたのかがみ)を入れる器の御樋代(みひしろ)を作るための特別な木材が、木曽から切り出されたのです。そして伊勢神宮に運ばれる途中に南宮大社に立ち寄られることになったとのことでした。
トラックに積まれた御神木は三本。大鳥居に到着のあと、「太一」と書かれた法被を着た千人程の人が白いロープを引いて先導していかれました。途中には宮代小学校の子ども達も日の丸の旗を振ってお迎えしていました。
「太一」ってどういう意味なのかと調べていたら、「万物を含有する大道」「天神・北極大帝のこと」、つまり「物事、事象、世界総ての中心」という意味であるとのことです。
天照大神が八百万の神々の中心であることを象徴することばとして式年遷宮に用いられるようになったそうです。
遠い昔、宮代小学校は南宮大社の東側、今の斎館の地にありました。日本には神風が吹くと言って戦争の勝利が信じられていましたから敗戦後の神社は今ほどのにぎわいはなく楼門前の石の太鼓橋は子ども達の格好の遊び場でした。そして、社殿で子ども達が餅花づくりをしたこともありました。大らかな時代でした。
世の中は変わっていきます。この十年の変化を考えると二十年後の式年遷宮はどんな形になっているのでしょう。もっともっと少子化は進んでいくでしょうから、今年のように二台の御輿を担ぐことができるのでしょうか。物はあふれ、生活は豊かになったように見えて、その実、福祉のほころびがあちこちで見受けられる昨今です。皆が心豊かに、お互いに思いやりをもって生きていってほしいものだと御神木を見送りながら心に祈ったことでした。
2025.6.8