三月七日、中学校の卒業式がありました。
義務教育を終えて巣立って行く生徒達、送り出す先生達、そして保護者の方々の胸にはどの様な思いが去来したのでしょうか。
この三月、私は多くの涙に出会いました。
人はなぜ泣くのでしょう。うれしい時、かなしい時、くやしい時、さびしい時、感激した時など人生の様々な場面で涙を流します。もちろん泣けない程の辛さもあるに違いありません。
私はふっと泣き虫だった自分の幼少期を思い出しました。
私の両親は戦争中は東京に住んでいて、疎開してこの地に住むことになったのですが、知人のいないこの地をなぜ選んだのか、私にはわかりません。ただ、私の想像では、金物にかかわる仕事をしていた関係上、金山彦命を祭神とする南宮大社の地だったからではないかと思うのです。当時の私たちは常に「よそもの」で、生活や食事など何事につけても好奇な目で見られていたと思います。お弁当に入っていた四角いチーズは「ワーッ石鹸食べとる!」と言われたり、姉の形見のピアノには当時の、級友が残していった疵が今も残っています。そんなこんなで私はよく泣いていたのでしょう。「泣き虫毛虫はさんで捨てろ!!」の声も聴こえます。
でも、何より悲しかったのは、小学校二年の時のできごとでした。あの時、クラスの友達が大切にしていた物が失くなったのです。その物が何だったのか思い出せないのですが、担任のA先生は皆に向かって「誰が盗んだのですか。皆、目を瞑って、盗んだ人は手をあげて下さい。嘘をつくと血を吐いて死にますよ。」と、おっしゃったのです。私は思わず「血を吐いて死ぬなんてかわいそうです。」と言ってしまったのです。結果、私が犯人とされたのでした。
この出来事は私の心の中に深く沈んで、もう何十年も前のことなのに忘れることができません。このままだと人間不信になっていたのでしょうが、後に私は多くの素晴らしい先生方に出逢いました。もしもそういう出逢いがなかったら、きっと私の人生は違ったものになっていたことでしょう。
人のことばというものは恐ろしいものです。ある時は、その一言で救われることもあるでしょうし、一生忘れることのできない心の傷として残ることもあるのでしょう。
三月、別れの季節です。この一年、振り返って、私のことばで傷ついた人はいなかったでしょうか。庭先でクリスマスローズが咲きはじめています。
2025.3.10 発行