一月二十三日の朝日新聞にアメリカの野球殿堂入りしたイチローさんの一問一答が掲載されていました。その中に、かつて聞いたことがある言葉が二つありました。
「そもそも野球という存在がなければ、僕は一体何だったんだろう。何者かになれたのかと、今日は特にそう思います。」
実は、この言葉は私の短歌の師であり、宮中の歌会始の選者をつとめた今は亡き千代國一の言葉と一致します。
「歌作らず過ぎしひと世を想ひ見む唯に虚ろに吾が人たらず」と詠んだ國一の歌意は「もし自分が歌を詠まない人生であったとしたら、一体何者だったのだろうか。ただ虚ろに生きていただけだったであろう。」というのです。
イチローさんの言葉を読んで、その道を極める人というのは、どこか似通ったものがあるのだなあと思ったのでした。
そして、もう一つイチローさんは、こんなことも言われていました。「メンタル面を鍛えるのに大事なことは?」の問いに「厳しい道を選ぶしかないのでは。楽な方に行くとメンタル面は弱くなって行きます。技術的なことも楽な方に行くと体はなまけてだめになっていくのと同じようにメンタルもそうだと思う。」と応えておられました。
このイチローさんの言葉から、私は亡き父の言葉を思い返しました。もう五十年も前に亡くなりましたが、大学進学の時には一人娘の私をあえて自宅通学が難しい大学しか受験させてくれませんでした。自立に向けた一歩を踏み出させようとする愛情だったと思います。そして父は常に「イージーゴーイングは駄目だよ、たやすい道と厳しい道のどちらかを選ぶとしたら、より困難な道を選ぶように。」と諭してくれました。
果たして今の私はどの様に生きているでしょうか。父が望んだような生き方をしているかと自問すれば否と言わざるをえないでしょう。今の若者に言わせたら古いノスタルジアと嘲笑されるかもしれません。
ただ一度の人生をどの様に生きていくのか。高齢者となった私にも、まだ少し先を見て進むことが出来る時間は残されているようです。もちろん、このメッセージを読んで下さっている方々には、私以上に残された時間がありますよね?
2025.2.21 発行