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第二十五番札所 滝寿山 養老寺

第二十五番札所 滝寿山 養老寺

寺院紹介

 西美濃三十三霊場第二十五番札所である、岐阜県養老郡養老町にある真宗大谷派の寺院である。山号は滝寿山。「養老孝子伝説」の源丞内ゆかりの寺院であり、不老長寿に利益(りやく)があるという。多芸七坊の1つ。本尊は十一面千手観世音菩薩。本堂の左にある滝守不動明王堂は養老の滝を修験の場とする。
 孝行な樵が岩の間から流れ出た酒を瓢箪に詰めて持ち帰り、父に飲ませたと養老の瀧に纏わる話は頗る多いが、織田信長の兵火の時七堂伽藍は焼き尽くされたが、瀧守不動明王十一面千手観音等佛像は養老の瀧に難を逃れたという。

お寺の御朱印 お寺の写真 お寺の写真

基本情報

宗派 浄土真宗
本尊 阿弥陀如来(十一面観音)
創建 奈良時代
開祖 伝・源丞内
ホームページ

歴史

 昔、この美濃国(岐阜県)多渡山に貧しい樵がいた。いつも山へ入って薪を採り、売ったお金で父の好きな酒を買って飲ませていた。ある日薪を採りに山へ入ると、苔むした岩間から水が流れ、酒の香りが漂い、なめてみると酒の味がした。喜んだ樵はひょうたんにつめて持ち帰り、父に飲ませますと、たいへんうまいお酒と大層喜んだ。このことがやがて奈良の都にまで聞こえていった。時の帝の元正天皇は、霊亀三年(717年)、多度山に行幸になって、美泉に浴され、痛むところをお洗いになると速やかにご回復され、醴泉は美泉であり、老いを養う水とおほめになって、年号を養老元年と改められ、天下の老人八十以上に位一階を授けられるなどの恩賜があり、孝子の節婦などを表彰された。養老2年には、七堂伽藍をご創建になり、寺号を賜って滝寿山元正院養老寺と称し、滝守護不動明王(県重文)を勅納され、寺家三十坊、寺領三百国を賜り、源丞内を開基とし、法相宗を旨とし、同帝の天牌を奉安し、宝祚萬壽天下泰平を祈る勅願所となった。鎌倉時代の初期天台宗に転派して、十一面千手観音(国重文)を本尊として、当寺を護持してきました。永禄五年(1561年)、織田信長の兵火により、多芸七坊堂悉く焼失し、寺領も剥奪された。このとき、滝守護不動明王、十一面千手観音などの寺の重要宝物等、滝谷に避難されて無事であった。その後、大垣城主伊藤長門守が帰依され、天正18年(1590)二月、仮堂再建せられ、寺領も寄付された。慶長の始め、高須城主徳永石見守がある夢見の中に、滝守護不動明王、十一面千手観音の霊告を受け、この地に詣でて瑞夢と符合したので、帰依いよいよ深く、霊場を破却したことは誠に嘆かわしいことで、天下泰平萬民安全のため再建の志を立てて、慶長元年(1596)着手、同12年緒堂坊舎悉く完成された。当寺の住職が感謝のしるしに、比叡山より雄松を持ち帰り、植樹し,約300年の星霜を経た明治29年に枯れ、二代目も惜しくも昭和63年夏枯死、今でも徳永松として本堂前に名残を留めています。
 関ヶ原合戦のとき、徳川家康が当寺に戦勝を祈願、成就を喜び、新藤五国光の太刀(国重文)を寄付された。この頃、真宗大谷派初代教如上人の揖斐郡春日谷での教化中、当寺の住職帰依し、同派に転派して、阿弥陀如来を本尊とした。徳川初期霊元天皇ご病気のとき、元正帝の古事から、享保11年(1726年)、菊水の霊水を取り寄せられて薬湯として用いられた。病気ご回復を喜ばれた天皇は、父君後水尾天皇のご宸翰懐紙(町重文)をご下賜になった。

交通アクセス

【アクセス情報】
住所  : 岐阜県養老郡養老町養老公園1276-1
連絡先 : 0584-32-1021
アクセス:
  • 近鉄養老線 養老駅下車徒歩10分