第十六番札所 普賢山 禅幢寺
寺院紹介
西美濃三十三霊場第十六札場である、禅幢寺(ぜんとうじ)は、JR垂井駅と関ヶ原駅のちょうど中間の北側山手・垂井町岩手に位置し、垂井駅からは北西に約4km、関ヶ原駅からは北東へ約5kmの所にある。ここは竹中氏の菩提寺で、戦国の名参謀として広く知られる「半兵衛重治の墓」がある。また同寺には、「小西行長の墓」もある。
村の鎮守の横に境内はあり、山の麓に位置して山門新しく造られているが、竹中半兵衛の菩提寺で檀家はなく、方々に喜捨を願い造られた。
基本情報
宗派 | 曹洞宗 |
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本尊 | 釈迦如来(聖観音) |
創建 | 明応3年(1494年) |
開祖 | 盛庵正碩 |
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歴史
当山は明応3年(1494年)三月太源六祖の孫、盛庵正蹟禅師により開創される。禅師は薩摩国金鐘寺が廃寺となったため,江州に来て医王寺と徳昌寺を合寺して、徳昌寺の開山となり、その後岩手領主岩手禅正忠典長の請いによって、当山の開山となる。元亀、天正の頃、たびたびの兵火により当時の詳細は不明である。
永禄元年(1558年)竹中重元が岩手禅正某と戦い、その城を攻略し、この地の菩提山に城を新築し領主となる。その子竹中半兵衛重治は、父と共にこの城に住み、その後、秀吉の与力として秀吉に重用された。天正15年(1587年)重治の子で、「豊鑑」、「時雨の記」の著者として詩文の才のあった重門が、父の菩提を弔うため墓を当山に移築し、父を当山の開基と定め、以後現在に至るまで竹中家及びその家臣の菩提所となっている。
現在の本堂は、重門の子重常が寛文3年(1663年)3月に建立したもので、享保12年(1727年)3月、明治9年(1876年)6月に修覆され、昭和54年4月には開基400年際を厳修するにあたり、100年ぶりに修繕したものである。
交通アクセス
【アクセス情報】 | |
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住所 : | 岐阜県不破郡垂井町岩手1038-1 |
連絡先 : | 0584-23-0129 |
アクセス: |
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