第三十二番札所 篠尾山 円興寺
寺院紹介
西美濃三十三霊場第三十二番札所である、円興寺(えんこうじ)は、観音札所の大小の幟籏で華やぐ寺院である。本堂へは石段で登る境内があり、庫裏へは下境内から門をくぐり南天が赤い実を誇り、水音の聞こえる境内で不動明王地蔵菩薩の祠が建っている。また、裏の杉林の緑は明るく日を受けている。 岐阜県大垣市にある天台宗の寺院である。山号は篠尾山。本尊は木造聖観音菩薩立像(国の重要文化財)。かつては山頂に存在していた。旧円興寺跡地には礎石が残り、源朝長の墓、源義朝、源義平の供養塔などが残る。現在の円興寺には源朝長の位牌や関わる遺品がある。
基本情報
宗派 | 天台宗 |
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本尊 | 聖観音 |
創建 | 伝・延暦9年(790年) |
開祖 | 伝・最澄伝教大師 |
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歴史
寺伝によると、延暦九年(790年)三月、伝教大師は東国教化のとき笹尾ヶ原(美濃国青墓)に立ち寄り、遠方に五色の雲が立ち昇っているのを見て奇異に思い、山間の渓谷を周っているとき老翁が出現し、大師に告げた。「我はこの地の地主神で白髭と称する者(現在当町内の鎮守の氏神として祀っている白髭神社)で、大師の来るのを久しく待っていた。この地は仏法有縁の霊地であり、この笹尾ヶ原に赤栴檀の霊木がある。その霊木で仏像を彫刻して大衆を済度すべし」と言って西方へ立ち去った。伝教大師は大いに喜び霊木を自ら探し、聖観音の尊像を一刀三礼して彫刻、本尊として天台宗笹尾山圓興寺吉祥院を創建した。その後、弘法大師が巡錫の折、一寸八分の黄金仏を彫刻し本尊の頭上に安置(胎内に納めた説もある)し、永く当山に留まり、広く衆生をさとしたと伝わる。また、本尊は石上観音と言う二つ名があり、その縁起は天正二年(1574)織田信長の焼き討ちに遭うが,不思議に本尊だけは遠く離れた谷間の石の上に難を避けたことから、その名が伝えられている。かつては、七堂伽藍の金堂や伝教大師の御和讃にも謡われている多宝塔など、一山五坊三十六ヶ院、末寺百二十五ヶ寺、源頼朝公御寄付の寺領五千石を統治していたと伝えられている。しかし、天正年中の兵火による焼失後、再建されたが、落雷により焼失、万治元年(1658)に現在の場所に移し建てられ、今に至る。今日では往時の盛観をみることもできなくなった。創建より1200年を越える関西屈指の古刹で、源氏一族や青野城主稲葉石見守の菩提所でもあり、今様「梁塵秘抄」とも深い繋がりがある。
交通アクセス
【アクセス情報】 | |
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住所 : | 岐阜県大垣市青墓町880 |
連絡先 : | 0584-71-4539 |
アクセス: |
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