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第十五番札所 楊岐山 安國寺

第十五番札所 楊岐山 安國寺

寺院紹介

 西美濃三十三霊場第十五札場である、安國寺(あんこくじ)は、伊吹山と麓の濃尾平野を一望出来る地桜の名所、霞間の渓の中に建つ寺院である。足利尊氏の制定した全國安國寺の一寺である。盛衰激しく、今は無住となり、茶畑の中に村人の手で本堂新しく造り、本尊を祀り維持される。
 その昔、土岐一族の寺の僧、白雲は斉藤道三によって滅ぼされた土岐氏の仇を打つ事を心に誓い、夜な夜な斉藤城下にて人を切り、仇を打ち続けたが 何時の日か返り血を浴び、無念の死を遂げたといい、供養の五輪塔境内が残っている。

お寺の御朱印 お寺の写真 お寺の写真

基本情報

宗派 臨済宗
本尊 十一面観音
創建 伝・暦応2年(1339年)
開祖
ホームページ

歴史

 安国寺は元弘の変(南北朝の戦)の後、両軍戦没者慰霊のため1339年(暦応2年)夢窓疎石の勧めで足利尊氏が1345年に創立。
 開山は鎌倉円覚寺四十二世,此山妙在禅師で,その後各地より名僧が招かれて住持したが,当寺は境内も広大で利生塔と共に七堂伽藍が立ち並んでいたと伝えられている。其の後度々の戦火で荒廃したが,明応四年,西暦1495年長月、舩田の乱において敗れた美濃国守護土岐成頼公(8代目守護)も当寺に入り剃髪している。又裏山には伊予国の河野通直の第四子稲葉通富公によって白髭城(池田山城)が築かれ,今も城跡の一部が残っている。通富の六男光朝は白雲と号し当山に住したが,斉藤道三に亡ぼされた主家土岐氏の仇を討つ為,還俗して夜な夜な岐阜城下に出て,道三の一族,千人斬を志したと伝えられている。白雲の位牌や墓は今も寺内に保存されている。また織田信長の第二子,信雄の安国寺の対する制札なども,再度の戦火を免れて現存している。

交通アクセス

【アクセス情報】
住所  : 岐阜県揖斐郡池田町小寺304
連絡先 : 0585-45-3140
アクセス:
  • 近鉄揖斐線 広神戸駅下車徒歩7分