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第十二番札所 施無畏山 観音寺

第十二番札所 施無畏山 観音寺

寺院紹介

 十二番札所の観音寺は、福井県の永平寺と横浜市の總持寺を両大本山に持つ「曹洞宗」のお寺です。お寺の由来については下記「歴史」の項目にてご確認ください。
本堂西側には学問の鎮守さま「玉岡いなり大明神」がお祀りしてあり、祈願絵馬の奉納もできます。
大垣藩戸田家、戦国武将小西行長ゆかりのお寺・眼病治癒の観音様

・禅寺らしい「深山幽谷」の雰囲気が存分に味わえる四季折々の環境をお楽しみください。
・Googleストリートビュー:駐車場からと中央階段下から境内、玉岡稲荷さま・本堂内・墓地(インターネットにてパソコンやスマホからご参拝いただけます)
・公式ホームページ:https://kannonji.xyz
・Instagram:https://www.instagram.com/wagen_t/
・奉納:御朱印(3種類)・護摩木・絵馬・幟旗(大・小)・玉岡稲荷幟旗・大般若ご祈祷札
・バーコード決済完備:PayPay・au PAY

お寺の御朱印 お寺の写真 お寺の写真

基本情報

宗派 曹洞宗
本尊 十一面千手観音立像
創建 慶安元年(1648年)
開祖 白峰玄滴和尚
ホームページ https://kannonji.xyz/

歴史

 中山(現 揖斐川町春日中山)の観音寺は養和元年(1181)に天台宗の寺院として創立され萬年山元正庵と称した。当時は現在の位置より約200メートル上方に位置していた。この場所は現在も寺の跡地として名残がある。その後、弘安年間(1278~87)に現在地の東側(通称兵太夫屋敷)へ移転したが、慶長元年(1596)天台宗より離脱、無住となり廃寺同様となる。
 慶長五年(1600)九月、関ケ原の戦いで敗れた西軍の将小西行長公が逃れ来て、当時の寺に隠れたが不破郡垂井町岩手城主、竹中丹後の守重門公に依り捕えられた。翌慶長六年(1601)小西行長公の供養の為か春日美束市瀬より、千手観音・大日如来・釈迦如来の三尊仏を譲り受け当寺に安置した。
 寛永十二年(1635)幕府の命により戸田氏鉄公が尼崎から大垣にお国替えとなる。この戸田公に北ノ丸おさい様(栄春院)と申す姫君有り。下野の国宇都宮城主、本多正勝公の正室となっていたが、同城に起きた釣り天井事件の為絶緑となり大垣へ帰ってきた。その頃原因不明の眼病に苦しんでいたおさい様にある夜「粕川谷中山の観音様を信仰しなさい」との夢のお告げがあり、早速、兄の氏信公に手を引かれお参りすること数度。眼病がすっかり回復したと云われています。
 この事をきっかけに氏信公は荒れたままになっている寺の復興を計る事となり、禅宗親音寺と改め、加賀の大乗寺二十五世白峰玄滴和尚を拝請し開山第一世とし、寺紋に戸田家の九曜の紋を与え、永代無年貢として再興した。時に慶安元年(1648)のことです。しかし、中山は道遠く山深いためお参りするには難多く、おさい様(栄春院殿仏性壽心大姉)は万治三年(1660)12月、安八郡北一色村に栄春院を創建し当寺の千手観音様を本尊として熱望されたので栄春院に移し、万治三年(1660)12月6日観音寺には別の観音様を造立し安置されました。その時の観音様が現在の十一面千手観音様です。
 又、慶長五年(1600)荒れ寺に匿われながら捕えられた小西行長公が、中山の人々に騙されたと思い、捕えられ岩手城に連れていかれる道中に「あの村(中山)を三度焼き払わずにおくものぞ」と睨んでいったと云われ、それから後三度ほど村に火災が起こり、特に享保十八年(1733)の火災は村中焼け落ち、寺も焼失したが、大火の中でも村人の懸命な努力により、奇跡的に三尊仏は難を逃れた。その後、大垣藩五代藩主戸田氏長公より用材の払い下げを受け現在の湯所に再興した。
 その他、度々起こる災難を小西様の祟りと恐れた村では、宝暦四年(1754)2月29日観音寺に於いて行長公の大会葬を行い、行長公が置いていった小刀を埋めて墓地とし、寺には小西行長公(泰珠院殿東岸道西大禅定門)の位牌を安置し供養を続けた。
 しかし、その寺も万延元年(1860)、寺の屋根裏から出火し再び焼失、大垣藩十代藩主戸田氏彬公より再建費三百両の下附を受け再興された。
 この時建てられた本堂が現在の本堂です。現在も本堂西側の杉の木数本に裂け目が有り、万延元年の大火の凄まじさの名残を見る事が出来ます。
後の大正十二年岩手村(現垂井町)の御嶽教徒、高木金十郎氏が當山に来て「最近私の所に行長公の霊が現れ・・・私を仏として扱われるのは不快だ(行長公は熱心なキリシタン大名)と言われたから今後は神としてお祀りされたい」と伝えに来たことにより、行長公の墓地に社を建て小西神社として毎年2月29日(28日)に大祭を行っている。
 因みに、大正十二年12月北一色栄春院全焼。当寺より移られた観音様も焼失。此の時、東の空より火の玉が観音寺本堂へ吸い込まれたとの云い伝え在り。

交通アクセス

【アクセス情報】
住所  : 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日中山2725
連絡先 : 0585-57-2261
アクセス:
  • 最寄駅:養老鉄道「揖斐駅」
  • 公共交通機関無し
  • 公営「はなももバス」利用
    運行時間:7:30~18:00
    ※土・日・祝祭日は運休
  • 予約:0585-22-1131(1時間前までに予約)
    ※一週間前から予約受付け可
  • 料金:300円/回(距離ではありません)
  • 乗降場所:NO.101 中山集会所
    【64-5】揖斐駅⇒(約30分)⇒【101】中山集会所⇒徒歩5分
  • 帰りのバスもご予約下さい