2011年3月11日に岩手、宮城、福島の東北3県を中心に襲った津波や東京電力福島第一原発事故では多くの被害が出た。高田さんが最初に被災地に入ったのは震災発生から2カ月後。小倉さんは、その1カ月前。ともに、全国の市町村社会福祉協議会でつくる「ブロック応援職員」として、現地のボランティアセンターの業務支援として大槌町で1週間ボランティア活動をした。高田さんたちは「被災地を見た瞬間、本当にここに町が、家が、そして生活があったのだろうかと疑う光景が目の前にあった」と、当時を振り返る。
2人が2回目に大槌町を訪れたのはその年の12月。「1人の人間として大槌のために何かしたい」「被災地の支援をしたいと思っている人たちにもその機会を」と、岐阜県や名古屋市の社会福祉協議会の職員たち約20人で、4日間の日程で現地支援を行うボランティアバスを企画。仮設住宅の親子や高齢者を対象に「ピザづくりとレクリエーションツアー」と「買い物と温泉ツアー」を行った。参加した親子たちは「みんなでわいわい騒ぎながら楽しく過ごせた」「道の駅での買い物がうれしかった」などと、喜んでいた。お礼に踊りを披露してくれる人も。この時に一緒に活動をしたのが岐阜県社会福祉協議会の和田慎太郎さん(28)。4月に大槌町へボランティアに入ったメンバーで、以来3人で毎年1度現地を訪れている。東北3県のボランティアセンターのまとめでは、同センターを通じてボランティア活動に参加した人は、震災発生以来、今年1月末までに151万8000人にも上る。
高田さんたちは「大槌町にボランティアに出かけているのは大槌の人に会いたいから。大槌の人はおもてなしなど、気遣い、心遣いがある。『ご苦労さん』『ありがたい』の言葉一つ一つに温かみがある。しかし、ボランティアはいつまでもその土地で暮らし、その土地のために活動し続けるものではない。そのまちをどう復興させるかは、最後は地元の人たち。復興の主役は被災者自身。これまでとは違うまちになるだろうが、みんなが『前より良いまちにしたい』との願いを持ち、新しいまちづくり、新しい歴史を作っていかなくてはならない。外部の力に頼りきりでは本当の意味での復興とはいえない」と熱く語る。
「私たちは、これからも東北(岩手県大槌町)と関わり続けようと考えている。発災から6年以上経ち、風化の影が見えている中、人として東北の今を忘れることなく、心の中に刻み続けたいと思う。これからも私たちの東北への旅は続きます」と、高田さんたち。頭が下がる。心から声援を送り続けたい。
2017.09.01(子林 光和)