先週、飼い犬のポポを予防注射に連れていきました。以前にも書いたかもしれませんが、ポポは野良犬の仔として生まれました。もっとも、母犬は首輪をつけていましたから、以前は飼い犬だったようです。兄弟は全て保健所に連れて行かれて、一匹だけかくれていたとのことでした。友人に抱かれて吾が家に来た時には、訴えかけるような、悲し気な目に惹かれて私達は、飼うことに決めたのでした。あれから、十一年が経ちましたが、堂々としている他家の犬に比べて何かにつけて怖がりです。長い棒がこわい、雨がこわい、雷がこわいなど、何とも頼りなく、みすぼらしくさえ見えるのです。
病院に着き、相変わらず怖がるポポの姿に「すみません。この子はみすぼらしっ子で・・・。」と口にしたところ、「お母さん、そんなこと言ってはいけません!」と叱られてしまいました。でも私は「ポポはみすぼらしっ子だけど世界一可愛いよ、大事な大事な子なんだよ。」と常々言っているので、そんなに叱られるとは思ってもみませんでした。
その時、反論はしませんでしたが、私も人と話していて同じような反応をしてしまっているのではないかと、ふと思ったのです。ことばは生きものです。口をついて出たひとことの奥にどんな思いが秘められているのかを知ることは、他者には難しいことです。私の知人の子は、友だちに「いいよ。」と言われたことで疎外されたと思い込んでしまいました。「ありがとう。いいよ。」だったら、又、受け取り方も違ったことでしょう。
表面上のことばで決めつけていないかなあ。相手の気持ちを受け止めようとしてるかなあ。反省の一日でした。
2014.6.10 発行