私は、県内のいろいろな所に出かけますが、車にはナビをつけていません。認知症の予防だということもありますが、地図を探し、この道はどこにつながっているのかと走るのも楽しいのです。もちろん、行く時には、最短距離を探し、できるだけ信号をさけて行くことを考えますが帰途は別の道を通ってみたりするのです。時々、夜の道を冒険したために月の方向から考えて自分の位置を確かめる羽目に…ということもあるのですが、それもまた面白いものです。道はどこかでつながっているので、いずれは目的地に着くのですが、自分の頭の地図がまちがっていると、迷い道に入ってしまうこともあります。
自分が方向を失ってしまった時に心に浮かぶのは、子どもたちのことです。困った目、おびえた目、淋し気な目、反抗的な目、すねた目など、子どもたちが見せた心の一端を思い出すのです。困っていることを口に出せないでいる子もいれば、自分が何に困っているのかさえも分かっていない子もいるでしょう。そう、道に迷ってしまっている今の私のように…。
道はいろいろな所に通じていて、たとえ回り道をしても目的地に着くことはできるでしょうが私たちは、子どもたちに、どうしても最短の、できるだけ困らない道を用意しようとしているのではないでしょうか?でも結局は、子どもたちは、子どもたち自身の足で自分の人生を歩いていくしかないのですよね。そんなことを考えると、私たちは子どもたちにもっとたくさんの選択の道を用意してあげるべきではないのか…と 思えるのです。
生きていくということは、様々な試練を乗り越えていくことでしょう。回り道だっていい、自分の足で歩いていけるように、見守っていく役目もまた、私たちに課せられていることなのでしょう。
2013.11.12 発行