八月六日現在、わが家の庭はまるでジャングルである。私も主人も忙しくて庭木の手入れなどしていられないので、木は生い茂り、草は伸び放題である。しかし、間もなく見かねて主人が木の枝をはらうことになるのだろう。そして、毎年、花が咲く時期になると、今年も花が咲かないということが必ずおきるのである。購入して数年間、カシワバアジサイは花をつけず、一昨年は夏つばきの花を見ることはなかった。白木蓮も今年は二花を見たにすぎない。(古木の梅は多くの花をつけたが…)
何故こういうことになるかというと、一本一本花芽のつく時期は異なり、剪定の時期もちがうはずであるが、忙しさにかまけて、季(とき)を選ばずに切ってしまっているからである。自分ではやらないくせに「今年も花芽を切ったでしょう?」と文句を言いながら、子育ても一緒だなあと、いつも思っている私である。
子どもの成長期に、いつ手を入れて、いつ見守るかということは、とても大事なことである。しかも一人一人がもつ発達課題が異なるのであるから大変である。最近は、手を貸されすぎて一人で何もできない子や、逆に支援が必要な時に助けがもらえずに困っている子も多く見かける。
「自然に身につけることが難しい子なので教えて下さいね。」と言うと、訓練のように思う人もいるようであるが、そうではないのである。「〜すれば良いんだよ。」「やってみて…そうそう、それで良いよ。上手だね!」と、ほめて認めていくのでなければ定着がむずかしいのは、当然のことである。
子どもの気持ちに寄り添いながら、社会のルールを身につけさせる基礎は幼児期にあるが、成長と共に子どもたちは自分の気持ちに折り合いをつけ、自己認識をしていくのである。私たちは、子どもが今、どんな支援を必要としているのか見極める目をもたなければいけないと思うし、そのための自己研鑽は欠かせないと肝に命じてもいる。
2011.8.9 発行