「先生、日本ではどうして『障がい』と言うのでしょうね?アメリカではチャレンジドって言うんだそうですよ。」
学園OBのお母さんが帰り際に真顔で言われた。その方のお子さんは成人になって診断名がついた方である。
私は最近、チャレンジすべきは子どもを取り巻く周りの大人ではないかと思い始めている。発達の弱さがあり、その弱さを何とかしようとすると、子ども達の良さや強みが見えなくなり、「訓練機関がある」と聞くと専門機関で訓練すれば何とかなると思ってしまう。しかし、果たしてそうだろうか?歩く事が出来ない子を訓練すれば歩く事ができるようになり、話せない子を訓練すれば話せるようになるのだろうか?否である。何故なら、歩くために、話すためには「動きたい、歩きたい」「話したい、相手に分かって欲しい」という子どもの気持ちや要求がなければならないし、その意欲を引き出すのは訓練ではないからである。
特に乳幼児期の子どもの世界は遊びに尽きる。遊びの中で体を動かし、物を追いかけ、手を使い、考え、学んで行くのである。つまり、私たち大人に必要なのは、「意欲を引き出すための環境づくり」とも言える。
私達は、ことばが話せない子どもに日々どの位ことばをかけているでしょうか?そのことばかけは子どもが私達に共感し、何かの形で意思を伝えたいと思うようなことばでしょうか?歩けない子どもにどういう働きかけをしてあげたら歩きたいという意欲が引き出せるかを常々考えているでしょうか?「学園に来ると子どもはとっても楽しそうです。でも、遊んでもらっているだけ・・・・」と思っていらっしゃいませんか?子ども達のそれぞれの発達や発達特性を考えながら意欲を引き出し、子ども自身が挑戦していけるように環境を整えていくことは私達の大事な仕事であり、日々のチャレンジであると思うのです。
2011.2.21 発行