先日、我が家の屋根に猿が登場した。田舎のことであるから猿がいても不思議はないのであるが、余り人里へ下りてくることはないので、見に行くと目が合ってしまった。山に餌がないのかもしれないと考えた瞬間、なぜか京都の山寺に住む住職のHさんのことを思い出した。
Hさんの村には猿が出て、スイカや農作物を盗んで行くことがあり、鹿の被害も多いそうである。村の人は「誰かがスイカを盗んでいった!」と盗人のせいにしているとのことだが、Hさんはスイカを持ち去る猿の姿を何度も目撃したそうである。Hさんの畑も鹿に荒らされて困るので、Hさんは立札を思いついたというのである。「人間用」と「鹿用」と畔に区別をして立札を立てておいたのだが、鹿はお構いなくどちらも食い散らかして逃げていったらしい。Hさんいわく「僕の失敗は鹿には文字が読めへんことを忘れとったことや」・・・と。さすが、山寺のお尚さんは言うことが違う。澄ました顔をして大真面目である。私よりも10歳くらい年上で、若いころからゆったりとしていて、私がこせこせと動きまわっていると「そんなに急がんでも・・・。」と、いつもブレーキをかけてくれる人であった。
私は今、本当に忙しく日を送っているのであるが、猿の顔を見ながらふと、Hさんが猿を私のもとに寄越してくれたような気になった。「何をあせってるんや。もっとおおらかに構えてへんと、大事なことを見逃すで。ほんま(本当)のことは、目に見えへんからなア・・・。」
京都の成人の施設で、わずか1年足らずの縁だったのだが、忘れかけた頃に便りをくれる人である。
おそらくHさんの山寺には今日も動物たちが訪れていることだろう。秋も深まりつつある。
2009.10.31 発行