最近、年を重ねたせいか、早くに目覚めることが多くなりました。朝の五時、外は真っ暗です。ベッドの上で五時から六時まで読書をするのが習慣になりつつあります。
夏の頃は、隣の空地の草取りに精を出していたのですがその土地に三軒の分譲住宅が建つことになって、私は草取りおばあさんの職を失ってしまったのでした。
六時になるとお寺の鐘の音が聞こえて来ます。私の住んでいる地区には、私が知っているだけでも寺院は六ヶ所あり、どの寺院の梵鐘なのかは分かりませんが、じっと聴いていると四十秒位の間を置いて聞こえてきます。
私は今、『喚鐘』という本を読んでいます。著者は禅寺に生まれた方で、禅家の道場では、雲水が参禅する時には老師が手づから打ち鳴らす喚鐘によって入室し、いわゆる禅問答なるものが行われるのだと記してありました。もちろん私は、仏教にも他の宗教にも縁の浅い人間なのでよく分かりませんが、鐘にもいろいろあるのだなあと思います。NHKの朝の連続ドラマの「エール」では、教会の「長崎の鐘」を取り上げ、鐘の音が被災した人々に希望をもたらしたと伝えていましたが、鐘には、それを聴く人のそれぞれの思いがあって、希望の鐘であったり、鎮魂の鐘であったり、自己を見つめるための鐘であったりするのでしょう。
ところでコロナウイルスの感染は、冬に向けて又、広がりを見せているようです。コロナ禍は私たち一人ひとりの生活に大きな変化をもたらしました。私の起ち上げたNPOでも今までに共に活動してきた北川さんが退職ということになりました。東京で一人暮らしの娘さんが心配で、度々往復したいとのこと、この小さなNPOで、しかも岐阜県からの委託を受けている立場として長期休暇は難しく、十一末日でお別れすることにしたのです。十二月からは宮川さんが新たなメンバーとなります。
心機一転!さあ、又、新たな思いで!!
朝の鐘の音は、私に「今日も自分なりに出来ることを精一杯なさいね。」という励ましのようでもあります。
庭先では、石蕗のつぼみがふくらんで来ています。
2020.11.9 発行