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星巌は「糸屋の娘」で起承転結を説いたか

 「京都三条の糸屋の娘、姉は十六、妹は十四、諸国諸大名は弓矢で殺す、糸屋の娘は目で殺す」という調子のいい唄の文句が、漢詩絶句の起承転結の構成を示すという話は、いつ何で読んだのか、それとも誰かから聞いたものか。しかもそう指摘したのは、かの頼山陽であると、これもいつのまにか私の頭に刷り込まれていた。まあ話としては面白いし、良く出来ているが、教師としてもすぐれた才能の持主である山陽が、たとえ酒席であったとしても、こんな単純きわまりない、むしろ危なっかしいとも言える説明をする訳がないと考えるのが妥当なところであろう。ところがこの話の主人公をさらに梁川星巌とする説があると知って驚いた。東京大学出版会が毎月、刊行する小冊子「UP」の最近号に斎藤希史(まれし)氏が紹介されている内容である。それによると、淳軒大田才次郎が明治25年(1852)に著した逸話集『新世語』にそう記されているという。才次郎の祖父は歳が近い星巌と親しかったようだから、たんなる伝え話といちがいに捨て去る訳にもいかないところがある。あるいは星巌が半ば遊びで近頃流行っているあの唄みたいなものだよ、と言ったことがあったかどうか。しかし星巌にしても、やはりちょっとあり得ないような話だが、その名前の部分がどこかで幕末の詩人として同じく名が高い頼山陽に入れ替わったのだろうか。一般的には山陽の逸話として扱う文章が多いように思われる。
 それにしてもこの唄の細部にはいろんなヴァリエーションがある。おそらくご当地ソングとして歌詞の部分的な入れ替えで唄われたからであろうか。まず冒頭の姉妹が居る糸屋の所在地には、京都の三条、五条、本町、大坂本町、(江戸の)本町二丁目と三都すべてがあり、姉妹二人の年齢に至っては、ざっと当っても十指に余る例がある。ただ姉妹がいる糸屋を扱った俗謡が採録されたものの初見は元禄17年すなわち宝永元年(1704)刊行の『落葉集』と思うが、これに踊唄「糸屋娘踊」として収録されているのは、本町二丁目の糸屋に2人の娘がいて、その妹が気になるという内容のものだ。これがさらに進むと、それゆえに伊勢に7たび、熊野に3たび、愛宕山には月参りの願掛けをするという歌詞になる。愛宕が出て来るからには、このもともとの舞台は京都であろうか。冒頭に引いた唄とこの唄の双方がともに収録されているのは、昭和2年(1927)刊の『小唄・うた沢・端唄全集』中内蝶二・田村西男編で、2つともに端唄の部に載せられている。この本では「本町(「ほんちゃう」と仮名が振られる)二丁目の糸屋のむすめ、姉は二十六、いもとははたち、諸国諸大名は弓矢で殺す、糸やの娘は目でころす」とあり、妹のほうが、というおそらくは古形と思われる唄(こちらは「ほんまち」と仮名が振られる)が「上方気分に出来ている」のに対し、これは「江戸調」であると解説されている。それより驚くのは歌の文句の解釈で、「目で殺す」というのはたんに流し目をくれることと思っていると、それだけではない、もうひとつ、「糸の目方をぬすむことを美しい眼で悩殺することに掛けている」と教えられるのである。


2016.8.22