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今に生きる飯沼慾斎の植物図

 講談社の「ブルーバックス」は科学を題材とする新書のシリーズだが、なかなかの名著がある。ここにご紹介するのもそのひとつ、私が何気なく求めてすっかり引き込まれた著作である。『野草の手帖・植物分類への道しるべ』という題で、著者は1912年生まれの長田(おさだ)武正氏。ずっと教育に携わって来られた方のようで、他にも植物の分類についてのご著書や図鑑類がいろいろあるようだが、私の知るのはこの一冊のみ。しかしそれで充分と思うほど魅力的な本である。ごく身近な植物を100ほど採りあげて、原則として見開きの左側に植物の図、右頁に分類を軸としてその野草の形態や生態、分布から研究史まで、必要に応じて専門的な説明の文が載る。と言っても、それに終わることなく、ときにその花を詠んだ和歌や俳句もさりげなく登場するし、また著者とその野草との感動的な出会いの場面が描かれて、お人柄が伺えることもある。
 実はこの先生は少年の頃から牧野富太郎に師事といううらやましい経歴をお持ちなのである。この本の「かいじんどう」の項に、「そのころ牧野先生は私の恋人だった。明日の日曜は東京植物同好会、また先生のお話が聞ける。そんな晩は、天気が心配で眠れなかった」とある。植物をこよなく愛する師に対する敬愛は、さらに遡って牧野が尊敬してやまなかった飯沼慾斎の偉業にも及ぶ。『草木図説』について、「この本こそ、こんにち日本の書店にずらりと並ぶ植物図鑑類のルーツである」とされる先生は、この本に慾斎の図版をたくさん活用し、その観察の鋭さと描写の正確を称賛しておられる。飯沼慾斎はその植物図をまず原色で描き、それを墨一色の本として刊行する際に、そのための原図を自ら描き起したようだが、その際、葉の表を黒、裏を白と描き分けたのが面白く、美的な効果も生まれている。以前、私はこれについて若沖の版画との関連を指摘したことがあるが、先生もこの黒白の描き分けが面白いと評しておられる。
 ひとつ「まつよいぐさ」の項を見よう。慾斎の『草木図説』の文に始まる。「嘉永初年、オランダの船がもたらしたが、産地・名称は未詳。まつよいぐさ、やはずきんばいと名づけられた」(横山訳)。外来の花として珍重されたが、繁殖力が強く、明治末から大正にかけて全国に拡まった。そのころ流行した夢二の宵待草の唄のことから、「夜の花はほとんど香が高く、色は白か淡黄。それなればこそ闇に浮かぶ」と語って、4枚の花弁の下に長い花柄があると見えるのは、がくの下半が長い筒になったもので、その下に子房があり、これから蜜を吸えるのは蛾以外にない、とされる。ついで蛾がかかわっての受粉のプロセスの説明があって、「今宵限りの花の命をけなげに生きる姿である」と結ばれる。師ゆずりの植物に対する愛情の籠った文章である。この辺りの野草としては「もぐさ」の原料となる「よもぎ」が採り上げられている。伊吹山中腹の「よもぎ」の葉を乾燥,叩いて裏面の綿毛を集めたものが「いぶきもぐさ」として知られる。「なかに少しは葉のかけらや繊維が混ざっていよう」と「もぐさ」の一片を顕微鏡で覗いたが、みごとに綿毛ばかりだったというエピソードも面白く、草餅に使うときは、この綿毛が粘りを与えてつなぎの役目をすると教えられる。


2015.6.15