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大垣つれづれ

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大垣つれづれ

すっぽんが人語をしゃべった話

 この風土の民俗学の先達である柳田国男に「物言ふ魚」と題する文章がある。同じ類型の伝説を集めての考察のひとつで、1932年に発表されたもの。その冒頭の話がこの付近の出来ごとである。すなわち大垣近在の中津(なかづ)村の古池の水替えで池底から格別に大きなすっぽんを捕らえた男、何とか籠に押込んで大垣の魚屋へ売りに行く。その途中で別の池のほとりを通ると、池中より「どこへ行くぞ」と大声あり。すると籠の中から「大垣へ行くわい」と答え。「いつ帰るぞ」とまた問えば、「いつ迄居るものぞ。明日はじきに帰るわい」と答える。これは池の主であったかと、しっかと蓋を押さえ縄をかけて魚屋へと向かう。しかし明日は帰ると言うのだから、すっぽんは殺されずにうまく逃げ出すのであろう。ならば売ったお金を寺への施物にすれば自分も魚屋も罪滅ぼし、その上でこれきり殺生は止めて信心をしようと心を入れ替える。でも気にかかって翌日、魚屋に赴くと、大すっぽんは籠を噛み破って行方知れず、おそろしいことだと言ったという話。柳田のこの話の出典は、真宗仏光寺派の学頭で京都の仏光寺塔頭(たっちゅう)の大行寺(だいぎょうじ)開基の信暁(しんぎょう)が著した仏教説話集『山海里』である。原本は幕末に寺から36冊の冊子に分けて刊行されており、それらをまとめての3巻の活字本が明治に入って出版されているので、柳田はおそらくそれを見たのであろう。信暁の本ではこのあと、同じくすっぽんとの係わり合いがもとで殺生をやめた話がもう二つ載っている。この話の中津村を現在の大垣市津村町のこととする説もあるが、これはおそらく現在の安八郡安八町中須(なかづ)、すなわち以前の中須村のことであろう。大垣城下から一里ほど、城の東南方にあたるこの輪中の村落は、古来より中津村とも記されてきたからである。


2010.2.17