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大垣つれづれ

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大垣つれづれ

芭蕉の冬ごもりの句

 寺田寅彦が書いた文章で大垣に触れているものが三つある。最初は明治32年9月の「東上記」、東京帝国大学理科大学入学のための故郷高知から東京への旅の記録である。神戸から乗った汽車に、「大垣の商人らしき五十ばかりの男」が乗ってきて、「頻りに大垣の近況を語り関が原の戦を説く」とある。また彼が亡くなった年、昭和10年の7月に「中央公論」に発表した「災難雑考」は、5月に発生した県立大垣高女の修学旅行中の事故から話が始まり、こうした突然の災害の場合、いたずらに犯人探しをするのではなく、原因を科学的に究明するのが大事と説く。この事件については稿をあらためて記すつもりなので、今回は寺田が大正13年2月に「潮音」に発表した「伊吹山の句について」を紹介しよう。元禄4年、江戸に戻る芭蕉が四度目に大垣に立寄ったとき、岡田千川宅で詠んだ「おりおりに伊吹を見ては冬ごもり」の句の「おりおりに」にひっかかっての論考である。
 学生時代、冬休みに東海道線での故郷への往復にいつも伊吹山付近で雪に遭うのが不思議だった寺田は、太田瑞穂が主宰する歌誌「潮音」の芭蕉研究の連載でこの句が取上げられ、地勢や気象状況などが話題になったことから、自分でも調べてみようと思ったらしい。彦根の測候所の知人からデータを送って貰うと、12月から2月までの3ヶ月の総降水日数の最近4年間の平均は、伊吹山で69.2日、すなわち約77%は雪か雨ということになる。また伊吹山の霧の観測日数も、同じように冬季3ヶ月間で76.8日、88.5%という数字が出ている。以上のような訳で、寺田は冬には大垣から伊吹山が見える日がそんなに多くないと結論し、そう考えると芭蕉の句の「おりおりに」という5文字が「ひどく強く頭に響いて来る」気がする。その伊吹が望める特別な日が、「事によると北西風の吹かないわりにあたたかく穏やかな日にでも相当するので」、そういう日に「久々で戸外に出て伊吹山を遠望し、今日は伊吹が見える」と思うのであろう。そうすると結びの「冬ごもりの5字がひどくきいて来るような気がする」と言うのだが、私の10年ちょっとの大垣経験からしても、この解釈は少し物足りない。「陸地測量部の五万分の一の地形図」を拡げて大垣からの山容を想像する彼は、冬の伊吹の偉容を実際に大垣で見ていないのである。伊吹山は大垣からの眺めが一番と思うが、とりわけ冬、頭に雪をいただいた姿には、何とも言えず凛々しいものがあって心を摶つ。それこそまさに「月もたのまじ」である。「おりおりに」の句には、さりげなくこの感動が折り込まれていると見るべきではなかろうか。


2011.2.21