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大垣藩城代・小原鉄心の遺徳を偲び顕彰する「鉄心会」会長、下里 吉平さん(69)


「スケールの大きな人」と、
小原鉄心を語る下里吉平さん
 幕末・明治維新の激動期に大垣藩(岐阜県大垣市)の命運を担った小原鉄心。財政改革や軍政改革を推進したほか、明治維新に際し、多くの藩が勤皇か佐幕のいずれに寄与するか迷ったときに時代のすう勢を見極め、譜代大名だった大垣藩を勤皇に導いた。その一方で酒を好み、梅を愛し、多くの書や詩文に親しんだ文人、趣味人でもあった。藩老とも呼ばれた鉄心の業績を学び、遺徳を偲んでいる「鉄心会」。今年は徳川幕府が大政奉還して150年。そして、鉄心の生誕200年の節目の年。鉄心会は11月11日、それを記念した講演会を開く。下里さんは「スケールも大きく、心の優しいリーダーだった鉄心。そんな鉄心の業績などについて一緒に聴き、鉄心の魅力にふれてみませんか」と、来場を呼び掛ける。
 小原鉄心は1817(文化14)年11月、大垣藩士の長男として誕生。1850(嘉永3)年、財政難に悩む藩政改革を命じられる。鉄心この時34歳。倹約に勤める一方、人材を登用するなど手腕を発揮した。40歳だった1856(安政3)年冬には別荘「無何有荘」を建立し仕事の余暇に多くの志士、学者、詩人らと詩を詠み、天下国家を論じた。1867(慶応3)年の大政奉還に伴い、翌年1月新政府参与。1872(明治5)年5月に享年56歳で死去した。


例会で、横山正さん(右から2人目)
の講義を聴く会員
 「鉄心会」の発足は1994年。大垣市郭町の小原鉄心の屋敷跡近くの飲食店で会合を開いていた下里さんら同市立南小学校の同窓生らが中心になって設立した。下里さんは初代と3代目会長。会員は同市内の40〜70代の会社経営者や医師、会社員、主婦ら約30人。2カ月に1回(過去は不定期)、市内の飲食店で講師を招いて、鉄心や周りの人、大垣藩、大垣の歴史などの講話を聴いた後、懇親会。講師には、以前は同市の元市史編さん室長の清水進さんを招いていたが、現在は東大や情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の名誉教授・横山正さん。8月24日の例会には会員15人が出席、鉄心と交友があった兵学者・高島秋帆について約1時間学んだ。この後は、鉄心を偲びみんなで酒を酌み交わした。


奥の細道むすびの地記念館に移築された
「無何有荘」=大垣市船町
 鉄心会では「子どもたちにも鉄心の偉業を分かり易く学んでもらおう」と、2009年には、鉄心の業績を紹介する漫画「小原鉄心物語」(おもひでや出版)1554冊を市内の全小中学校に寄贈したほか、2012年には、鉄心の没後140年祭を鉄心の別荘「無何有荘」が移築されている同市船町の奥の細道むすびの地記念館で開催。記念講演会のほか、茶席や酒席も設けた。さらに、鉄心と鉄心の部下たちによって鉄心の生の人間像が描き出された「亦奇録(えききろく)」の現代語版を発刊した。鉄心ゆかりの地を訪ねる研修旅行も開催。鉄心が福井藩士たちと語り合った、福井県の史跡を訪ねる一方、姫路城を散策するなどしている。


小原鉄心や師の鴻雪爪が眠る
全昌寺=大垣市船町
 生誕200年記念講演会は午後2〜4時、同市船町の奥の細道むすびの地記念館や小原鉄心や師の鴻雪爪が眠る全昌寺近くの同市馬場町の市総合福祉会館5階。市文化財保護協会副会長でもある清水進さんが「戊辰戦争と大垣藩」と題して話す。会費無料。定員250人。
 鉄心会の例会も年内で100回の節目を迎える。設立から深く関わってきた下里さんは「小原鉄心と酒が好きで続けてきた鉄心会。ここまで続けられたのも顧問の先生や会員のお蔭。今後は会員の勉強や懇親だけでなく、鉄心の生き方、足跡がさらに世の中の多くの人にしってもらえるような顕彰活動にも力を入れていきたい」と語る。
2017.10.02(子林 光和)

今回の西美濃な人

下里 吉平(しもさと きちへい)

 丸一製菓社長。「桑名屋」で知られる大垣下里家13代目又蔵氏の二男。下里家の家系について調査し2000年には「熊野商人下里氏 650余年の歴史」を出版している。1996年4月から岐阜県大垣市文化財保護協会の理事。途中の2000年7月から10年間書記(事務局長)。今年4月には、長年にわたり地域文化の振興に尽力したとして大垣市から功労者表彰を受けた。人望が厚く、多くの人から愛され、信頼されている。同市桐ケ崎町在住。


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