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ふるさとの魅力を発信する「垂井町観光協会」会長、早瀬 正敏さん(70)

早瀬正敏さん
早瀬正敏さん
 「絶景の景色も、温泉も、グルメもない。でも、垂井町には霊峰・伊吹山に抱かれた豊かな自然がある。西と北に山、そして南と東には開けゆく濃尾平野がある。さらに垂井は国府や国分尼寺もあった歴史の町。かつては中山道の宿場町や美濃路の出発点など、交通の要衝としてもにぎわった。そんなふるさとの魅力を多くの町民に知ってもらい、そして町外に発信していきたい」と、熱く語る早瀬正敏さん。

伊吹山をバックに泳ぐこいのぼり
伊吹山をバックに泳ぐこいのぼり
 垂井町観光協会長に就任したのは2011年4月。それまでは歴代町長が観光協会長を務めていたが、「民間活力を生かした観光協会にしたい。町と観光協会の形をすっきりとさせたい」と考えていた中川満也町長が04年春に日本貿易振興機構(ジェトロ)を退職し、大好きなふるさと・垂井町に戻っていた早瀬さんに会長就任を依頼したのだ。子供時代を垂井町で過ごした早瀬さんは「育ててもらった垂井町が大好き」と語り、大学に入るために垂井町を離れることになったころから「仕事が終えた(退職した)ら、好きなこの町に帰ってこよう。」と考えていたという。その言葉通り、垂井町に戻ってきた早瀬さん。05年に愛知県で開かれた愛地球博で瀬戸日本館の館長や、その後、岐阜県民ふれあい会館の事務局長を務めたが、その間もふるさとのまちづくりに参加したり、歴史の勉強を続けた。そんな早瀬さんの姿を見た中川町長が垂井町観光協会の将来を託したのだ。

 会長に就任した早瀬さんが最初に取り組んだのが観光協会員の増加。民間人、事業者、観光に興味のある人などに次々と「観光の担い手が必要。ぜひ協力してください」と声を掛けた。努力が実り、就任時は84人だった会員が1年後には136人に。現在は186人(10月15日現在)と、2年半で100人以上も増え、倍以上になった。さらに、「自ら町の歴史や文化が語れる会員になっていただこう。そのためにはふるさとの再発見を」と、勉強会の開催に力を入れた。これまでに「身近な文化財の発見」「そこが知りたい南宮大社の年中行事」「竹中半兵衛公と松寿丸(黒田官兵衛の嫡男。のちの長政)」など、5回開き、毎回多くの会員らが参加している。講師はタルイピアセンターの学芸員や地元の人たち。
竹中半兵衛の居城跡
竹中半兵衛の居城跡
 早瀬さんは「このまちの魅力を深く勉強すると、このまちが好きになる。そうすると、他の人にも話したくなる。まだまだ勉強途中ですが、今後が楽しみ」と、テーマや講師も自ら探す。このほか、会員向けの観光協会だよりを不定期に発刊(号外含み、これまでに12回)して協会と会員との絆を深めている。今年4月には、JR垂井駅北側に観光案内所を開設。会員たちがボランティアで運営をしている。

美濃路に唯一残る松並木
美濃路に唯一残る松並木
 「垂井町岩手に残る名軍師・竹中半兵衛の居城跡・菩提山城は『岐阜の山城ベスト50を歩く』(サンライズ出版)のトップで紹介されている。垂井町には美濃路で唯一残る松並木もある」とうれしそうに垂井町の魅力を語る早瀬さん。「でも、観光客誘致は垂井町だけではやっていけない。東西の大垣市や関ヶ原町、南北の養老町、池田町などとも広域連携をしていかなければ」と、気持ちを引き締める。中川町長や町民だけでなく、近隣の関係者からの期待も大きい。
2013.11.01(子林 光和)

今回の西美濃な人

早瀬 正敏(はやせ まさとし)

垂井町文化財保護協会理事、垂井町府中地区まちづくり協議会会長。4年前からは、垂井町府中地区に明治時代から続く雅楽グループの会員として横笛も奏でる。
ジェトロ職員時代には、オーストラリアをはじめ、アメリカやベトナムなど海外に通算十数年勤務。岐阜県学寮中部地区OB会長。多文化共生にもライフワークとして取り組む。
垂井町府中で妻と二男夫婦、孫2人の6人暮らし。


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