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そばで歴史のまち・関ケ原を盛り上げる玉倉部そばの会」会長、岩津 隆之さん(70)


みんなの明るい顔がうれしい」
と語る岩津隆之さん=そば屋「玉倉部そば」
 「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」。岐阜・滋賀県境にそびえる伊吹山(標高1377メートル)のふもと・岐阜県関ケ原町玉地区に今春オープンしたそば屋「玉倉部そば」。店内では明るく元気な声が響き渡る。店を切り盛りする、岩津さんたち「玉倉部そばの会」のメンバーたちの声だ。関ケ原町は、天下分け目の関ケ原合戦の地であるほか、玉地区には、関ケ原鍾乳洞や旧陸軍の「通称・玉の火薬庫」跡がある。岩津さんたちは「定年退職後の生きがい探しと地域の活性化の場として初めた店ですが、多くの人に来店していただき、歴史のまち・関ケ原を盛り上げることにつながればうれしい」と、にこやかに話す。


真心を込めてそばを打つメンバー=同
 「玉倉部そばの会」は、昨年11月に発足した。メンバーは、玉地区の60代〜70代の住民有志15人。夫婦も岩津さんら2組いる。店は、関ケ原鍾乳洞売店の食堂だったスペースを借りた。材料は玉地区で生産されたそばの実。調理に使う水は、古代の英雄・ヤマトタケル伝説ゆかりの「玉倉部の清水」にちなみ、伊吹山ろくの湧き水と、地元にこだわった。会の名称も「玉倉部の清水」から名付けた。そばを打つのも、調理をするのもすべてメンバー。そばを打つ3人は岐阜市のそば打ち教室に通うなど特訓して準備を進めてきた。


にぎわう、そば屋「玉倉部そば」
=関ケ原町玉
 店の営業時間は、原則として土・日・祝日の午前11時から午後2時半。メンバーの元気な声に迎えられて店内に入ると、お茶と一緒に、サービスとしてそばの切れ端を油で揚げたチップが出てきた。食べてみると、カラットしておいしい。そばは、四季折々の地区の野菜や山菜などを揚げた天ぷらと地元産のコメで作ったいなりずし2個が付いた「ざるそばセット(税込800円)」やかけそばセット(同)、そしてカレーライス(500円)などがある。手打ちにこだわり、冷たくてきれいな水で作ったそばは、多くの客から「おいしい。こしがある。いなりずしもおいしい。ボリュームもありまた来たい」と好評だ。
 店では、はし入れもメンバー手作りとアットホームだ。岩津さんは「地区のお年寄りに働く喜びを感じてもらいたかった。だから、そばの実、コメ、野菜など使っている材料はみんな地元産。地産地消を実践しています。営業時間や期間なども、推移を見ながらみんなと相談していきたい。もうかりはしませんが、みんなの明るい顔がうれしい。そして次の世代へつないでいけるようになれば。そのためにも、多くの人にきていただきたい。火薬庫跡にも足を運び、歴史を知るとともに平和の尊さの勉強をしてほしい」と、期待する。



公開されている旧陸軍の
第5洞窟式火薬庫
 「玉の火薬庫」は正式名称「名古屋陸軍兵器補給廠(しょう)関ケ原分廠」。小高い丘に建設され、大正時代の初めから終戦の年までの約30年間、使用された。周囲約6キロ、敷地面積は約270ヘクタール。洞窟式火薬庫5、半洞窟式火薬庫15など、合わせて50カ所ほどの火薬庫が設置され、東洋一の規模を誇る大火薬庫だったという。現在も国道365号から関ケ原鍾乳洞方面に向かう道に入ると火薬庫や見張り番が常駐した立硝台(りっしょうだい)などの痕跡が見える。火薬庫は放置されたままだったが、戦後70年の昨年からは、関ケ原観光協会が整備。時間限定で第5洞窟式火薬庫の内部が公開されるようになった。今年も4月末から11月末まで、内部がライトアップされ、解説パネルが展示されている。関ケ原町歴史民俗資料館でも関連する企画展が同時に開催されている。
2016.08.01(子林 光和)

今回の西美濃な人

岩津 隆之(いわつ たかゆき)

 元厚生省(現・厚生労働省)職員。2年前から岐阜県関ケ原町玉地区区長。戦後70年の昨年、地区の人たちに呼びかけ、「通称・玉の火薬庫」跡地周辺の草刈りや旧火薬庫内のごみ清掃などをした。それが火薬庫跡の公開につながった。今年も夏休み前の7月10日に地域住民とともに関ケ原観光協会に協力してごみ清掃などをした。「地区の歴史や遺産を多くの人に知ってもらいたい」と、火薬庫跡のボランティアガイドも務める。健康法は「常に前向きなこと」とか。関ケ原町玉で妻と2人暮らし。敷地内には長男夫婦と孫2人が住む。


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