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伝統のやま行事を守り続ける「大垣祭保存会」会長、渡辺 彰さん(65)


大垣まつりののぼりを手にする
渡辺 彰さん
 西美濃地方に初夏の訪れを告げる「大垣祭(大垣まつり)」。今年3月には、「大垣祭のやま(やま)行事」が国の重要無形民俗文化財に指定された。さらに、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産の候補にもなり、18府県32件の「山・鉾・屋台行事」とともに、来年11月に開かれるユネスコ政府間委員会で審議される。5月9、10日には、国の重要無形民俗文化財になって初の「大垣まつり」が開催され、13両のやまが岐阜県大垣市中心部を曳き回される。大垣祭出やま運営委員会の委員長代行も務める渡辺さんは「祭は私たちの誇りであり、生活の一部。指定はうれしいが、肩に力を入れずに、初心に戻り今まで通りのことをやるだけ。それが文化財。多くの人に楽しんでいただきたい」と、淡々と話す。
 大垣市新町生まれの渡辺さん。子供のころから大垣まつりに親しんできた。18歳で名古屋市や京都市に大工の修行に出てからも、まつりには必ず大垣市に帰り、からくり芸などを身を乗り出して見ていたという。38歳で故郷に戻ると、本格的にまつりに携わるようになった。渡辺さんの大垣まつりにかける熱意や仕事を通しての人をまとめる力などを身近に見た周りの人に押されて20年ほど前に、からくり芸やお囃子(はやし)などを担当する地元の新町芸能保存会会長。12年ほど前にはやまの運行に携わる新町担務員長に。昨年からは全体の大垣祭保存会の会長(任期3年)と、出やま運営委員会の委員長代行(同)を務める。


大垣市中心部を巡行する大垣まつりのやま
=大垣市提供。昨年写す
 大垣まつりは1648(慶安1)年に、10万石大垣藩初代藩主・戸田氏鉄(うじかね)公が大垣城下町の総氏神だった八幡神社(同市西外側町)を再建した際、城下10カ町(本町、中町、新町、魚屋町、竹島町、俵町、船町、伝馬町、岐阜町、宮町)の町衆が喜びを表すために10両のやまを造って曳き回したのが始まりと伝えられている。その後、1679(延宝7)年に3代藩主・戸田氏西(うじあき)公から、新たに神楽、大黒、恵比須の「三両やま」を下賜された。しかし、濃尾震災や第二次世界大戦中の大垣空襲などによって多くのやまを失ったが、地元町内会などによって2012年までに13両のやますべてが復元された。


ちょうちんに点灯し、
水門川沿いに並ぶ大垣まつりのやま
=大垣市提供。昨年写す
 国の重要無形民俗文化財指定に当たっては、大垣藩主から下賜されたやまと町衆のやまが併存する形態は全国でも希少であるうえ、近畿圏や中京圏など周辺地域の祭礼文化を取り入れつつ独自の様式を形成してきたことが高く評価された。大垣まつりは毎年5月15日直前の土、日曜日に開催され、13両のやまが城下町を巡行し、華麗な時代絵巻を繰り広げる。10カ町の各町内では3月ごろから、本番にに向けてからくり芸やお囃子の本格的な練習に入るという。


大垣まつりを呼びかけるポスター
 「保存会長や代行をやらせてもらっている時に、大垣まつりが国の重要無形民俗文化財に指定されてうれしい。後世に残す責任がさらに強まった。大変な仕事だが、子供たちも巻き込みながら盛り上げ、市民全体が誇りと思えるまつりにしたい」と渡辺さん。少子・高齢化が進む中、360年以上の長い歴史を持つ伝統行事を守り続けるのには難しい課題もあると思えるが、渡辺さんは「後継者の育成とともに、10カ町以外の子供たちにも興味を持ってまつりに参加してもらえるようにしていきたい。同じ伝統行事を持つ保存会などとも交流し、情報を発信していきたい」と意欲的だ。
2015.05.01(子林 光和)

今回の西美濃な人

渡辺 彰(わたなべ あきら)

 建設会社員。自治会長。若いころには、ゴルフや好きな車のラリーなどに挑戦したが、現在の趣味は「大垣まつり」一筋という。新町のやまはからくりで文字書きをする菅原やま。京都から戻って間もないころに、からくり人形の応急修理をしたというエピソードもある。健康法は「あらゆることに悩まない」。若い人たちの面倒見が良く慕われている。岐阜県大垣市新町で妻と2人暮らし。一人娘夫婦と2人の孫は近くの同市内に住む。


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