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悲願の黒獅子旗を大垣市に持ち帰った「西濃運輸野球部」監督、林 教雄さん(64)


林 教雄さん
 市民から愛される西濃運輸野球部(岐阜県大垣市)。社会人野球の最高峰を目指す今夏の第85回都市対抗野球大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)で初優勝し、悲願の黒獅子旗(優勝旗)を大垣市に持ち帰った。市民の喜びも格別で大垣駅通りで開催された優勝パレード(8月3日)には1万6000人以上が沿道を埋め尽くした。大垣フォーラムホテルでの大垣市と大垣商工会議所主催の優勝祝賀会(同24日)にも市民ら約700人が出席して快挙を祝った。林さんは「大垣市民をはじめ多くの皆さんの声援のお蔭で優勝を勝ち取ることができました」と、礼を述べた後、「選手一人一人が粘り強くなり、チームワークで黒獅子旗(優勝旗)を大垣市に持ち帰ることができてうれしい」と、喜びを語る。


東京ドームで黄色の団扇を振って
声援を送る西濃運輸のファン
 西濃運輸野球部は1960年創部の古豪チーム。かつては都市対抗野球の常連で「東海の暴れん坊」と呼ばれた。白獅子旗(準優勝旗)や黄獅子旗(ベスト4)も獲得している。だが、一昨年、昨年と本大会出場を逃がした。それだけに、チーム関係者だけでなく、大垣市民ら西濃ファンにとっては東京ドームへの思いはひときわ強かった。そんな中、今夏の東海地区2次予選を4戦全勝で勝ち進み、19年ぶりの第一代表で3年ぶり33回目の本大会出場を決めた。その勢いは東京ドームでも発揮された。過去に優勝7回の強豪・東芝(川崎市)に初戦で逆転勝ちすると、準決勝戦では3連覇を狙ったJX-ENEOS(横浜市)も撃破。決勝戦では富士重工業(太田市)に佐伯尚治投手の踏ん張りで完封勝ちし、栄冠を手にした。準決勝の日は、32年前に亡くなった西濃運輸の創業者・田口利八さんの命日。決勝戦は天皇・皇后両陛下が観戦され、西濃ファンには忘れられない優勝となった。


黒獅子旗を先頭に大垣駅前通りを
パレードする西濃運輸ナイン
 「派手さはなくてもひたむきにやる」が持論の林さん。一昨年夏に4回目の監督に就任してからは、厳しい練習についてこれる体力づくりと、自らが考える野球を推し進めた。さらに、野球選手である前に社会人、西濃運輸社員としての心構えを説いた。その林さんが追い求めた野球が今夏、見事に開花した。東海地区2次予選から粘っこい野球、つなぐ野球に徹してきた。それが東海地区2次予選初戦の延長戦となった三菱自動車岡崎(愛知県岡崎市)や東京ドームの初戦・東芝との戦いで顕著に表れ、本大会では本塁打なしで優勝という歴史的な勝利を収めた。また、林さんは「西濃運輸野球部は西濃カンガルー会をはじめ、多くの市民に愛され、応援していただいている」と話し、スタンドの市民と一体となったチームづくりを目指してきた。それは、市民にとっても肌で分かるだけに、岡崎市での東海地区2次予選だけでなく、本大会でも市民応援バスなどで多くの市民が東京ドームに駆け付けた。決勝戦では1万1000人のファンが黄色い団扇を振りながら声援を送り続けた。大垣市役所で開催された写真展「黒獅子旗への軌跡」(8月29日〜9月12日)には連日多くの市民が見に訪れた。写真展では黒獅子旗なども展示され、注目を集めた。


西濃運輸ナインの活躍やスタンドの
応援風景の写真展
多くの市民が見に訪れた
 9月の「第一回フランス国際野球大会」にも日本代表として参加した西濃運輸。来年の都市対抗野球大会の出場権を推薦で獲得している。だが、来年は補強選手はいない。単独チームで戦わねばならない。林さんは「現在いる選手の能力を底上げするとともに、来春入部の新しい戦力で2連覇を目指す」と、気を引き締める。
2014.10.01(子林 光和)

今回の西美濃な人

林 教雄(はやし のりお)

 大阪・佐野高校から1968年に西濃運輸入社。現役時代は捕手。都市対抗野球で10年連続出場の表彰を受けている。選手を引退後はマネージャーやコーチを務め、87年に監督初就任。94年に都市対抗野球準優勝。95年にも4強。96年には日本選手権で準優勝。セイノー商事常務だった2012年6月に4回目の監督に就任。現在はセイノー商事顧問。今年4月に初孫・いろはちゃんが誕生。「東京ドームにも来てくれた」と、孫の話になると目尻を下げる。大垣市静里町で妻と2人暮らし。


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