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  • 梁川星巌夫妻の駱駝見物
 文政5年(1822)9月9日、結婚早々の梁川星巌は妻紅蘭を伴って足掛け5年の西国の旅に出発する。この旅の中で生まれた詩をもって第一詩集を編み世に問おうという壮大でまたある意味では戦略的な謀ごとを胸に秘めての出立であった。彼がこの旅を決意したのは、3年まえの秋、鴨川の畔の山陽の家で一夕、語り飲みあかした折と思われる。父親の三回忌をすませてすぐ九州への旅にのぼり、戻った故郷広島から関西旅行に連れ出した母をまた広島まで送って戻って来た山陽は、初めて会う九歳年下の星巌に熱っぽく旅の魅力を語ったに相違ない。とりわけ異国情緒溢れる長崎の話は星巌の気持を西方への旅に駆り立てるものがあったろう。月ヶ瀬の梅、古京奈良、厳島、壇ノ浦、大宰府、そして長崎の繁栄と中国人たち、山陽が命名した耶馬溪と、詩心を誘う題材に事欠かないうえに、往還の路に在るさまざまな文人たちとの交流もある。星巌の目論見は見事に当たって山陽が序で作者の詩才を称えた『西征詩』は星巌の詩壇における位置を確かなものとした。
 この詩集の早い部分に、おそらく星巌が思いがけず遭遇した見世物を賦した詩があり、それがまた彼の名を高からしめるひとつの所以となった。星巌夫妻は曽根から南下し、桑名、四日市を経て大和路へ入り、奈良を経て翌文政6年(1823)の5月に大坂に入ったと思われるが、この年の春、一つがいの一瘤駱駝が大坂の港に着いていた。これは文政4年(1821)7月1日に長崎に入港したオランダ船が献上品として舶載してきたものだが、幕府が受取りを拒否して揉め事になり、文政6年2月まで出島で飼われ、最終的に幕府から売却の許可が出て、長崎商人の手を経て大坂の興行師が買取ったらしい。この駱駝は以後十年余にわたって全国を巡回興行する大当たりの見世物となるのだが、その幕明けが難波新地であった。碇泊した船内に閉じ込められていた二頭の駱駝は小屋掛けの柵の中に引き出され、唐人装束の口上人が紹介する霊獣を一目見んものと詰めかけた観客の熱い視線を浴びたのである。木戸銭は一人24文、いまの600円ほどか。あるいは星巌夫妻はこの興行の噂をいちはやくキャッチ、7月12日の開場を待ってすぐ見物し詩を賦したのかも知れない。詩は長年にわたって使役され辛苦を重ねた挙句、遠い日本へ連れてこられた駱駝夫婦への憐憫の情に満ち(星巌はこの駱駝を老夫婦と捉えているようだが、実年齢からすると壮年というところである)、いま二人で旅する私たちも、風を知り水を識る才能がありながらそんな境遇にある君たちの同類だ、と結んで、暗に自らの詩才のやがて世に表れんことをさりげなく示唆している。この詩は興行の成功とともに広く知れ渡り、ついに駱駝が夫婦連れ立つことの称になってしまう。ちなみに文政7年(1824)閏8月7日からは江戸の両国広小路での興行が始まり、32文(800円)の木戸銭でも連日見物が押し掛ける盛況で期間延長を重ねてついに半年近くに及んだという。多い日は一日五千人の観客を数えたと伝える。全国巡業の途次に文政7年と10年(1827)に垂井や赤坂あたりを通ったようだ。尾張大須での興行は文政9年(1826)11月から。文筆、画ともに達者な尾張藩士、高力種信猿猴庵が記録を『絵本駱駝具誌』にまとめている。
2014.10.20

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