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大垣つれづれ

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大垣つれづれ

独酌する江馬細香

 大垣が生んだ詩人、江馬細香の詩に、酒や盃、酔といった言葉が詠み込まれたものが意外に多いということは以前に述べた。彼女が「飲量、近来、幾分を添う」、最近、少し飲む量が増えた、と言っているのは、文政3年(1820)、34歳の詩である。妹柘植の夫となった細香の従兄、松斎(3代春齢)の病と死、また継母佐野の病臥と、ここ3年ほど、細香は看病に明け暮れた。やっとそれにけりがついて新酒を口にしての感慨が先の句である。たしかに細香の詩に酒にかかわる言葉が多く現れるのは、この頃からである。美濃の詩友、あるいは頼山陽の縁で繋がった京の知人たちとの酒は心はずむ楽しいものであったが、生涯、独身を通した彼女は、一方で少しの酒に気を紛らわすことも多々あったに違いない。独酌の様子を窺わせる詩も多く、彼女の没後、刊行された詩集、『湘夢遺稿』におさめられた350首中に15首ほどが独酌を思わせる詩である。

梅と相いともに残年を送る、一片の清香、酔眠に撩(いど)む。ただ愧(は)ず鬢(びん)辺に白処(はくしょ)多なるを、三更(さんこう)酒醒めて独(ひとり)凄然(せいぜん)
天保元年(1830)ころ、44歳位の細香の歳末の詩。一枝の梅を友に酒を酌む細香。
三更すなわち真夜中に酒が醒めたあとの寂しさ。彼女は白髪が増えたのを気にしている。

静かに清尊を置き、緑苔を掃う。満林の秋葉、墜黄(ついこう)堆(うずたか)し。酌み来たれば趣を成す。何ぞ酔うを期せん。適意三杯また両杯。
中国の故事に、ある酒豪の武人が、なぜ酒を飲むかと将軍に問われて、そんなことを言われるからには、酒中の趣の素晴らしさをまだご存じないのですねと言ったというのがある。
李白の「月下独酌」には「三杯大道に通ず」、三杯も飲めば仙界に遊べる、とあり、「酒中趣」についても言及がある。天保2年(1831)45歳の作。

独酌、酔を為し難く、孤吟、情を写すに足る。人待てど人至らず。雨を罵れば雨まさに晴れんとす。芍薬、春色を余し、杜鵑(とけん=ほととぎす)初夏の声。日長く、ただ睡らんと欲す。庭院、緑陰深し
前年9月に山陽が亡くなった翌年、天保4年(1833)の初夏。細香47歳。独酌するも酔えず、詩を吟ずれば気持がおさまるか。誰と思っても、来る人のあてがある訳では無く、いまはただ眠りたい、庭の深い緑の中に。細香はこの年8月、頼家弔問に京に旅し、中秋の名月の夜、京の知友たちと鴨川沿いの店で歓談する。その翌年の名月の晩は前年の京での宴を思い出しながら大垣でひとり淋しく盃を傾けるが、天保10年(1839)、足掛け7年振りの京の友人たちとの再会の宴は日を重ね、「昨酔は今酔に連なり」といった具合だったと細香の詩にある。


2016.12.26