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大垣つれづれ

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大垣つれづれ

大垣でもあった念写の実験

 寺沢龍というひとが『透視も念写も事実である―福来友吉と千里眼事件』(2004年 草思社)という本を書いている。私は結構こういう話が好きで、この世の中には絶対、不思議な能力を持った人がいる筈と思っているので、本が出てすぐに求めて読んだが、その中に大垣が出て来る。福来はふくらいと読む。彼は明治末期、催眠心理の研究で東京帝国大学の助教授になるが、いわゆる千里眼の研究に熱中したあげく、世を惑わしたとして職を追われてしまう。これには著名な学者たちがさしたる根拠も無いままに非難中傷したことも与っているとして、著者は調べ上げた事実をそのままに冷静に記して読者に判断を委ねている。いまだったらさしずめたけしのタックル特番に取上げられて、大槻先生がひとことといった話題である。でもこちらは皆、大真面目で、新聞も実験の様子をことこまかに報道する。話に大垣が出てくるのは福来が高山の出ゆえで、彼はひょんなことから当時、巷の話題になっていた千里眼という主題に専門の立場から取り組むことになる。最初の対象は熊本の御船千鶴子で、次が丸亀の長尾郁子であった。福来は疑いを持たれないよう慎重な配慮のもとに実験を行い、その透視や念写が事実であることに確信を強めていく。しかしその実験に加わる他の学者たちからの中傷が激しく、ときに妨害のような行為まであった。その中で御船が原因不明の自殺をし、さらに長尾もこれを追うように病死してしまう。二人の有力な才能を失って落胆した福来は、『透視と念写』という著書の出版の責を問われて帝大の職を追われる。その彼が大正6年に出会ったのが三田光一である。紹介者である福来の知人、揖斐郡の坪井秀の自宅で会ったあと、東京で乾板を厳重に包装したものを送って、浅草の観音堂に掛かっている山岡鉄舟の書いた額を透視し、その内容を念写せよという難題を出す。その実験場が大垣の森恭造宅で、主人のほかに先述の坪井、可児陸軍少将、武内安八郡長、坂本大垣中学教諭ほかたくさんの立会人がいた。三田は書留小包の包装も解かずに中身を透視し乾板に念写してみせた。福来はその後、高野山に入山してさらに心霊的現象の研究に没頭、海外でも研究発表を行っている。なかでも不思議なのは昭和6年に福来の求めに応じて三田が行った月の裏面の念写で、その内容は今日の月面探査機の調査結果と80%合致するというのである。福来は1952年、二高の学生時代を過した懐かしい仙台の地で82歳でこの世を去った。


2010.6.21