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「ムーンライトながら」の季節

 春休み、「青春18きっぷ」が利用出来るときである。ということはまた、東京・大垣間を結ぶ夜行列車「ムーンライトながら」が走るときということだ。「ムーンライト」という愛称が付くまえ、鉄道好きのあいだで「大垣行き」とか「大垣夜行」とか呼ばれていた毎日深夜、東京駅を発ち早朝、大垣駅に到着する定期快速列車(大垣駅からも同じく深夜発で早朝、東京駅に着く列車が出る)は、2009年3月、不定期の臨時列車に格下げされ、「青春18きっぷ」が利用出来る春、夏、冬の休暇時の毎年決められた日にちに限定しての運行となってしまった。かつて乗り切れない乗客のために増発まであったことを考えると隔世の感がある。幾度も利用した思い出深い列車の現状は淋しい限りだが、これまた往復ともに何回となく乗車させて貰った新宿発村上行きの「ムーンライトえちご」(これも逆の新宿行き夜行があった)のように、いつのまにか運行されなくなってしまうよりはましと言うべきだろうか。そういえば「ムーンライト」という愛称は国鉄民営化前の新宿・新潟間運行の深夜列車に使われたのが始まり(1986年)で、そのときはまだ「えちご」という文字が添っていなかった。1996年3月、JR東海がそれまでのいわゆる「大垣夜行」に特急用の車両を使い全車指定席としたときに、「ムーンライトながら」の愛称が誕生し、東京と越後を結ぶ列車も「ムーンライトえちご」の名になった。これは当初、新宿・新潟間の運行だったが、1988年に村上駅まで延長されたのである。往復ともに深夜の発車ゆえ、駅近くの居酒屋で軽く盃を傾け、良い気分で乗車するあの醍醐味が忘れられない。
 以前に一度、ご紹介した旅のライター、布施克彦氏の著された『男なら、ひとり旅』に「大垣は首都圏のサラリーマンにとって、遥かなる未知の街だ」とあるのは、遅くまで飲んだあと、深夜発の大垣行き列車に乗車して短区間の旅をするのが常習だった湘南住まいの人たちの言であろう。「大垣夜行」のそもそもの始まりは1968年10月のダイヤ改正のときで、東京・大阪間の深夜鈍行がひとたび廃止と決定するも運行要望の声が強く、区間を大垣までに短縮し、東京・大垣間1日1往復の列車が誕生したのだった。これにはグリーン車も付いていたが、若者にとっては、その後、発売されるようになった全国の普通列車乗り放題の「青春18きっぷ」の利用が魅力だった。さらに「ムーンライト」を択べば指定席券だけで急行券や特急券も不要だし、夜行列車ゆえ宿泊費も不要の安上がりな旅になる。この発売の時期に利用者が増えることから現在のような運行になったのだろうが、最近では旅費を節約したい高齢者の旅に用いられることも多いようだ。早朝、「ムーンライトながら」が大垣に到着すると、その先へ旅したい人たちが乗り継ぎの列車の席を取らんものと登り階段に突進し、それを駆け上がると今度は新しいホームへと次の階段を駆け降りる。高齢のご夫妻がこの危ない席とり競争に加わられる姿には胸が痛む。採算に合わない深夜列車は消えゆく運命にあるようで、こんな風景もやがて見納めの日が来るかも知れない。速さを求めるのも大事だが、そのぶん料金は高くなる。必ずしも懐が温かいとは限らない鉄道好きが格安でのんびりした旅を愉しめる良い仕組みを開発出来ないものだろうか。


2016.3.28