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大垣つれづれ

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大垣つれづれ

名月に来なかった芭蕉

其まゝよ月もたのまじ伊吹山 
 私の大好きな句である。大垣に来てまず惹かれたのは伊吹山の美しい山容。この山は何といっても大垣からの眺めがいい。そこにもってきてこの芭蕉の句。山容が素敵だから月なんて添物不要という句意は明確だし、大垣藩士高岡斜嶺宅で詠んだのであれば、その裏に藩の士風への挨拶も読み取れるというもの。でもそれだけではない、芭蕉のたばかりはもっと深いと教えてくれたのは安東次男の文章。奥の細道の旅で加賀山中温泉まで来た芭蕉は、実は名月を大垣で迎えるかも知れないという手紙を同じく藩士の近藤如行あてに出しているのだ。しかしその後、芭蕉は方針を変える。西行ゆかりの敦賀でひとり名月を迎えることにするのである。ずっと同行だった曾良を先に旅立たせたのもそれ故だし、14日に大垣に着いた彼にはおそらく芭蕉の旅の変更を知らせる役目があった。で、名月の夜の集いを楽しみにしていた人々を落胆させて28日ころ大垣に入った芭蕉が詠んだのがさきほどの句であると知れば、何ともご立派な挨拶句と感嘆のいっぽうで呆れずにいられない。「招かれた宴席で一筋縄ではゆかぬ手だれ俳諧師の面目を披露しながら、その陰から、行き行きて帰らぬ、不退転の遊行者の貌をのぞかせている、したたかな男がそこにいる」と安東は言う。「身勝手な月見をしたあとこんな挨拶ができるのもあなた方大垣の人たちが相手であればこそだ、と相手の泣きどころをちゃんと心得て、有無を言わさぬ信頼を強いている」ように自分には読めるが、当時の大垣の人々ははたしてこの人情のうまみをどう受留めたかと。『奥の細道』は言うまでもなく歌仙の形式を下敷きの仕立て。あいにくの雨に見えずの名月を敦賀に配し、いっぽう大垣はこれも西行ゆかりの蛤の句でしめくくって、この句は表に出ないままだ。でも安東は芭蕉が西行に寄せた敬慕の深さは、『細道』に採録されたいくつかの月の句、いやそれにもまして敦賀のいきさつを受けてのこの「月もたのまじ」の句にいちばん現れているように思われると言うのである。それにしてももし芭蕉が名月を大垣で迎えていたら『細道』の結びはどうなっていたろうと考えると、やがてまとめる紀行の構成を考えながらの芭蕉の旅の仕方が見えてくるようだ。


2010.5.17