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江馬細香と張紅蘭の年の暮れ

 今年も暮になった。たまたま張紅蘭の大晦日に賦した詩が見つかったので、江馬細香にも無いかと探してみたら、わりに近い年のものが見つかった。細香は数え六十歳のとき、紅蘭は三十八歳のときのもの、どちらもそれぞれの年齢なりの感慨が盛り込まれた詩である。まず細香から。弘化三年(1846)の年の暮れの作である。「苦楽人間(ジンカン)ニ老イ 炎涼歳月流ル 一家骨肉ヲ同(トモニ)スルモ 六秩(ロクチツ)春秋ニ乏シ 思夢 亡友ニ逢イ 衰年昔遊(セキユウ)ヲ感ズ 梅花旧顔面 相イ見レバ冷香幽カナリ」。「人の世に苦楽を重ねつつ老い 暑さ寒さの繰返しのうちに歳月が過ぎた 身内一緒に暮らしているが 齢すでに六十で残りの歳も多くは無い 夢を見れば亡くなった友人が出て来 身体の衰えに昔の旅を懐しく思い出す ただ梅の花だけは昔のまま じっと見つめると清らかな香が匂ってくる」。秩は十年。迫りくる老いをひしひしと感じる様子が伝わってくる詩である。十五年前に頼山陽が没し、父蘭斎も継母の佐野もすでに亡い。でも三十年下の小原鉄心とは五年ほど前に知り合ったばかり、細香はこれから十五年、若い友人たちと詩をやりとりしながら生きるのである。
 いっぽう張紅蘭は夫の梁川星巌に従って江戸に赴いて二年目、大火に焼け出された挙句、神田お玉が池に家を建てて玉池吟社を開いたのが天保五年(1834)の十一月。初めは厳しい生活だったようだが、優秀な門人が集まってきて家計もだいぶ楽になった様子が伺える天保十二年(1841)大晦日の作である。「一年将(マサニ)尽キントスル夜 紅燭茅舎ニ明ラカナリ 居常能(ヨク)事ヲ忍ビ 今ニシテ餘暇有リ 門巷(モンコウ)寂莫(セキバク)タリト雖モ 也(マタ)債主ノ罵ル無シ 瓶梅咲(ワラ)イテ相侍スルハ 真ニ乃(スナワチ)千金ノ値 其ノ貪(タン)ニシテ以テ富ムヨリハ 寧(ムシロ)廉ニシテ且(カツ)貧為(タラン) 胡為(ナンスレゾ)権貴ノ家 例ニシテ布衣(フイ)ノ人ヲ軽ンズル 名利互イニ紛争シ 滾々(コンコン)タリ満城ノ塵 不知(シラズ)水火ヲ闘ワスヲ 亦(マタ)言(ココニ)好春ヲ迎エン」。「大晦日の夜 ささやかな家にも明るい灯が点る これまで我慢してきたおかげで 今は少しゆとりが出来た 客の数こそ少ないけれど うるさい借金取りはもう来ない 花瓶に活けた梅の花には まさに千金の値打ちがある 貪欲なことをして金儲けするよりは 廉潔に生きて貧しいのがいい 権力を持つお偉方は 概して庶民を軽んじる 彼らは名利を求めて争い ために都は官途の亡者だらけ でも彼らの争いは関係ないこと 私たちは良い新春を迎えましょう」。というところか。 後半の慨嘆が少しごたごたして前半のほほえましい情景と繋がりが悪い感があるが、これは彼女の気の強さが言わせるところであろう。 星巌はこの四年後、弘化二年(1845)突然、玉池吟社を閉じて故郷曽根に帰り、さらに京都に赴いて政治的な活動を開始するが七十歳で没。十五年下の紅蘭は明治十二年まで生きて七十六歳で没した。


2014.12.15