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大垣つれづれ

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鉄心流の酒の飲みかた

 私の酒は東京は渋谷駅近く、カウンターに6人も座れば満席の本当に小さな呑み屋に始まった。たいしたつまみも出ない酒は剣菱一筋の店だったが、年配のおかみが酒学の大人、坂口謹一郎先生を神様のようにしているひとで、先生のお弟子さんで製薬会社の研究所長といったひとが隣で盃を傾けていた。おかみは酒の飲み方にうるさく、とりわけひとに注ぐなといつも言っていた。先生の著書にも私はそれが嫌いとあるから、きっと先生仕込みなのであろう。このせいで私も若いひと、ことに女の方が年上のひとに注ぐのを見ると、ついしないほうがと言ってしまう。おかみはさらに飲んで店を出るときの後姿に気をつけなさいと言った。これはなかなかの言で、いまも忘れられない。もっともあれが後姿を忘れないひとの帰りようかとたちまち誰かに言われてしまいそうだが。
 ところで小原鉄心が自らの酒にまつわる挿話九篇に菱田海鴎の夢の記三篇をあわせて一本にした『飲夢』という題の薄く小さな冊子があり、それに酒の飲み方について彼が考えるところを語っている部分がある。いわく「古人の言に、酒を飲んで趣を知らないのは書を読んで義を解さないと同じというのがある。斉藤拙堂を訪ねたとき、口癖のこれを言った。すると彼が、自分には兵法について書いた本がある。これを読んで君がそうだと思う箇所があれば、そこで盃を挙げ酔おう。これは書を読み酒を飲んで、その双方の趣をともに解することではないかと。で、読み進めていくと、そうだと思うところばかりで、半分も行かないうちに酔境に入ってしまい、暮色蒼然として海山に迫るのにも気づかぬほどであった」。また「酒を飲んでそれに溺れるのは本当の酒飲みではない。大事なのは酔中の趣がどうかである。人を招いたとき、まさにこれでお開きという時になって大盃を空けよと迫る。これは酒を大事にして趣をおろそかにする振舞いである・・・私は主客あいまみえたとき、まず大盃を酌みかわす。そうして酔いを自分のものにした後におもむろにゆっくりと酒を味わいつつ会話する。酒中の趣を全くするとはこういうことである」と。ここで彼が言う趣とは、低きにつかず高い思いに遊ぶといったところだろうか。これは後姿などよりさらに難しそう。格好いいことを言うけれど、あなただって時には溺れたのではないのと言い返してみたくなる。


2010.4.19