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伊吹山の刈安

 黄色を染める植物はいろいろあって、刈安(かりやす)以外にも、黄蘖(きはだ)の内皮、梔子(くちなし)の実、黄八丈を染めるコブナ草などが知られている。私は東京にいたころ、毎年、東大寺二月堂の修二会(お水取り)に伺ってお堂にお籠りさせていただいたが、須弥壇を荘厳する赤と白の花弁が交互する色変わりの椿の造花がいつも印象的だった。その花芯の濃い黄色が梔子の実を煎じてのものと知ったのは、この花の用紙を染めて寄進しておられる染色家の吉岡幸雄(さちお)氏の書かれたものによってであった。梔子の実から抽出する黄色には、わずかながら赤味があって、それが赤い花弁とうまく響きあうということなのだろう。これに対して、イネ科ススキ属の刈安による黄色には、わずかながら緑味があって、黄色の染め以外にも、古くから深緑色に染める際に、藍との交染で用いられてきたという。この刈安について伊吹山産のものが古来、高名というのも、吉岡さんのご本で知ったのである。
 吉岡さんの書かれた本のひとつに『日本の色を歩く』というのがある。雑誌の連載を編集した新書だが、その中に伊吹山の刈安について書かれた一章がある。それによると伊吹山の中腹の斜面に刈安の群生があり、吉岡さんの工房ではこれを毎年、大事に使っておられるとのことである。吉岡さんのご本の内容を受け売りすると、黄色の色素のもとになっているのはフラボンという成分で、これが紫外線を調節する役目を果たしており、標高が高く紫外線を遮る高木が無い伊吹山腹のようなところでは、とくに多量のフラボンが蓄積されて黄の発色が鮮やかになるのだそうだ。奈良時代の正倉院文書にも「近江苅安」とあり、また平安中期に制定された「延喜式」に黄色に染める材料として「苅安草」とあるが、これまた同じ近江刈安、すなわち伊吹山の刈安であろう。収穫の場所としては美濃にあたる部分も含まれようが、名称は京に近い近江で統一されていたのであろう。
 「延喜式」の「縫殿寮」(ぬいどのつかさ)の項には染めに必要な分量などが細かく規定されており、それによれば椿の灰が発色のための媒染材に用いられたことも分かる。古来から深黄(ふかきき)、浅黄(あさきき)以外に、深緑の染めにも用いられたのは先述の通りである。17世紀の初頭、イエズス会の宣教師が編纂した日本語辞典、通称『日甫(にっぽ)辞書』にも、「カリヤス。この名で呼ばれる草で、緑がかった黄の色合いに染める染料として用いられる」と出ている。刈安は一見したところススキに似るが、穂の出方、葉のつき方、背丈などで見分けられる。ススキは硅酸化合物が葉の縁に付くので、葉を引張って指が切れたらススキ、葉が千切れたら刈安というおそろしい見分け方を記した本もある。もちろん吉岡さんの著書ではない。吉岡さんによれば正倉院文書には「苅安紙」という記述があるそうで、布だけでなく紙を染めることもあったようだ。黄蘖やウコンの染めは防虫効果があるようだが、刈安の黄も色ゆえに同様に考えられたのだろうか。もちろん漢方薬として用いられることはあったようだが。


2014.6.16