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大垣つれづれ

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大垣つれづれ

岡本綺堂のちょっと怖い話

 岡本綺堂の半七捕物帳は言葉が美しく話の組立てにも何ともいえぬ雅味があって好もしい。新聞記者を辞めて30代から作家生活に入った綺堂は、愛読のホームズ物を参考に半七老人という引退した岡っ引を創造して成功をおさめたのだが、それ以外にも戯曲や読物多数がある中に一連の怪談物がある。そのひとつ、大正14年に発表の「くろん坊」に大垣が登場し、彼一流の格調ある語り口で美濃が舞台の怖い話が綴られている。文久2年(1862)の秋、語り手である「私」の叔父は江戸を発って大垣に赴く。26歳の彼はいわゆる御庭番で、幕末の大垣藩の情勢を探ることを命じられて大垣に潜入するのである。仮に藩に見つかって斬殺されても、幕府側はいっさい与り知らぬ顔をする哀しいスパイ役である。秋に2ヶ月ほど藩内を徘徊したが露見しそうになったので逃亡を決意するものの、本街道は危険、山越えして越前に抜けることにする。大垣から十里北に辿って外山村、そこから険しい山路を根尾、松田と進んで、あと一里で下大須というところで日が暮れる。絶壁の道は危険と、若い僧が読経する一軒家に泊まるが、一晩中、からからという薄気味悪い笑い声に悩まされる。翌朝、下大須に出て古老に聞くと、杣の源兵衛がある日、くろん坊に、娘が年頃になったら婿にしてやると戯れに言ってしまった。くろん坊とは、当時、山に棲むと考えられていた人でも猿でもない薄黒い毛が体中に生えた生き物である。娘お杉の結納の日、くろん坊が彼女をさらっていこうとするのを源兵衛が山刀で殺し屍骸を谷に蹴落とす。ところが屍骸は中途の松の古木にひっかかり、眼窩を枝が貫く形になった。その結果、日にちが経つて屍骸が朽ちても、されこうべが谷底から吹き上げる風にからからと鳴る恐ろしさ。縁談がふいになった娘が一年後に身を投げ、その一年後、気の狂った母親お兼が投身、さらにその翌年、されこうべを何とか取り除こうとした父親が過って転落死。そこで鎌倉の寺で修行をしていた息子が家に戻ってされこうべが鳴らなくなるまでと経をあげているのであると。生粋の江戸っ子である綺堂がこの短編の種本にしたのは、江戸後期の随筆集『享和雑記』に出る「濃州徳山くろん坊の事」。そこではくろん坊が徳山の部落の後家に懸想して襲ったのを彼女が鎌で切りつけ追い払ったことになっている。綺堂はこの話を下地に、秘境によくある動物と人間の女との婚姻譚を結びつけ幻想的な物語に仕立て上げたのである。でも道筋の描写がまったくの想像とも思えないので、あるいは自らの旅の記憶が重ね合わせられているのかも知れない。


2010.3.15