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大垣つれづれ

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大垣つれづれ

本を読むこと酒を飲むこと

 読書の秋はまた酒が恋しい季節でもある。インターネットをチェックすると趣味は読書に飲酒と書いているひとがいっぱいだが、それでいてこの二つが両立しないと嘆いている方も多い。しかしひとたるもの酒を愛しつつまた万巻の書を読まなくてはならないのであって、酒を愛することが本を読めない言訳になってはならない、などと偉そうなことを言える私ではないのだが、どこかに本を読むことと酒を愛することを重ねて論じた文章が無いかと考えていて、小原鉄心のそれを思い出した。この「つれづれ」の連載を始めたころ紹介した彼の『飲夢』に載る一文である。鉄心は自分の好きな「古人」の言に、「酒を飲んで趣を解しないのは、本を読んでその言っていることが分らないようなものだ」というのがあると言う。「酒中の趣」は中国の文人が言い出したことで、酒は酔いを通して興趣尽きぬ高い境地に遊ぶのが大事というほどの意味で、鉄心はこれを力説する。このときも私淑する斉藤拙堂を津の彼の草堂に訪ね、拙堂の勧めでその著作を読みながら酒を飲み交わし、本と酒、双方の趣を重ねて得ると二人で悦に入っている。
 さてこの「古人」が誰なのか、あちこち探索してみたが、いまだ原典を発見するに至らない。ただ同じように本を読むことと酒を飲むことを重ねて語ったひとに、鉄心より10歳ほど先に生まれた水戸藩の志士、藤田東湖がいる。彼もまたこよなく酒を愛し本を友としたひとであった。彼の「酒に対す」という五言律詩は、まさに飲酒と読書合わせての賛歌である。「書を読むは酒を飲むがごとし、至味(しみ)は会意にあり」。本も酒もその最高の境地は心に触れるところにある。「酒は以って気力を養い、書は以って神智を益す」。酒はひとの気力を養い、本は英知を養う。「かの糟(そう)と粕(はく)を去り、淋漓(りんり)その粋を掬(きく)す」。もろみを搾って清酒のしたたりを汲み上げるごとく、本もまたその根幹にあるものを汲みとるのが大事。「一飲三百杯、万巻駆使すべし」。一息に三百杯を飲み干す勢いで万巻の本を読破すべきであると。意気天を衝く東湖らしい詩である。
 鉄心はおそらく梁川星巌を介して藤田東湖と知合ったと思われるが、東湖は良く知られているように安政の大地震に母を助けようとして没した。慶応2年(1866)の鉄心一行の江戸往復の旅の日録『亦奇録』(えききろく)には、鉄心が江戸を発つについて、知友たちが餞別をくれたことが記されている。会津藩の馬嶋杏雨(ましまきょうう)は書画数幅を持参したが、鉄心はその中に東湖が文天祥のそれに倣って作った「正気歌」(せいきのうた)の刷物があったと言い、その全文を引き写している。東湖がこの「正気歌」を作ったのは、彼が小梅の水戸藩下屋敷に蟄居させられていた時だが、その幽閉の日々にあっても、つねに本に親しみ、また浅草の地酒「隅田川」を自ら「墨水春」と名づけて一日一合の飲を欠かさなかったという。


2012.11.19