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美濃の若返りの泉

 江戸時代も末のほうに石山雅望(まさもち)という人がいた。浮世絵師の息子で、江戸小伝馬町で宿屋を営みつつ狂歌の大家、大田南畝(なんぽ)に師事、狂歌四天王の一に数えられるまでになった。のち国学に向かい、この分野でもすぐれた業績を挙げた。その彼が著わした本のひとつに遠近の物語を蒐めた説話集『しみのすみか物語』があって、そこに美濃の国の老夫婦の物語が載っている。
 話は「美濃国に老いたる夫婦ありけり。ともに七十にあまれり」と始まる。ある日、山で薪を集めていた翁が、夕刻、二十ばかりの若人になって帰って来たので、姥はびっくりする。翁は言う。見慣れない鳥を追いかけて清らかな泉に出会った。水を掬って飲んだら良い酒のような味、いい気持になり寝込んだのを、ねぐらに帰る鳥の声に起されて慌てて帰ってきたと。姥は私も飲んでこようと言って翌朝、家を出る。しかし晩になっても帰ってこないので、次の日の朝、翁が探しに行くが見つからない。狼に喰われたかと泣きながら探すと、岩蔭に生後一ヶ月くらいの赤児が姥の着物の中で泣いている。「あまりに泉をむさぼりて、いたく飲み過しけるあやまちなりとぞ語り伝えたる」。
 ここでは美濃国の話となっているが、実はこの若返りの水の話は、細部がそれぞれ異った形で全国各地に語り伝えられている。中には翁と姥が入れ替わっている例もあり、この場合、姥の仕事はもちろん洗濯である。短編「夏の日の夢」を浦島伝説で始めた小泉八雲は、それとは対照的な結末を迎えるこの説話で話を結んでいる。飲めば不老不死、あるいは若返りの変若水(おちみず)は洋の東西を問わぬ人類永遠の願望だが、大事なのはそれが湧泉か滝で得られることであって、効能はつねに湧き立つ「生きた」水によって与えられるのである。美濃で変若水というと、孝子が酒を汲んだ養老の滝の話がすぐ思い出されるが、そういうことになったのは鎌倉時代あたりらしく、平安初期、女帝元正天皇がこの美泉を訪ねた八十年後に編まれた『続日本紀』(しょくにほんぎ)では、天皇が手を浸すと皮膚が滑らかになり、痛いところを洗うと痛みが消えた。また飲んで病が治る者や白髪が黒くなり禿頭に毛が生えた例、目が不自由な人の目が見えた例があると記している。こうした奇跡の水の話をベースに、二番煎じの隣人がしくじる「花咲爺」式の物語の構図が重ねられて、この少し可哀想でもある水の飲みすぎ譚が生まれたのであろう。


2012.2.20