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趣を求めて酒を飲む・鉄心の酒ふたたび

 この連載を始めたころ、小原鉄心が酒を飲むときに趣を求める話を書いた。その時はすっかり忘れていたのだが、先ごろ碩学青木正児(まさる)先生が酒を巡ってのエッセイ集に『酒中趣』という題を付されたのを思い出し、鉄心の言の拠って来るところが中国の古典にあったことに思い至った。鉄心に直接、示唆を与えたのは、おそらく唐の太宗(たいそう)の時代、7世紀に編集された『蒙求』(もうぎゅう)の記事であろう。児童にも分かりやすく中国の故事を教えるとして編まれたこの本は、日本でも平安以降、時代を超えてさかんに読まれ、芭蕉も格好の教養書としてその俳諧に活用したようだし、降って夏目漱石も少年時代に耽読したらしい。漱石という雅号もこれに載る一篇のタイトルから拝借したようである。鉄心も当然、早くから読んでいた筈で、正史のひとつ『晋書』(しんしょ)から引用の一篇の内容が、酒中に趣を得なくてはという彼の口癖のもとになったようだ。
 それは春秋時代の晋国の将、桓温(かんおん)が信頼する参謀の孟嘉(もうか)の話である。孟嘉は酒が好きでいくら飲んでも乱れることが無かった。それで桓温が彼に聞いた。「君はどんないいことがあって酒を飲むのかね」と。孟嘉は答えた。「では公はまだ酒中の趣がお分かりになっていないのですね」。これについて日本の注釈書や辞典には、「酒の味のほかに一種の快楽を含むこと」などとあって、何とも嘆かわしい限り。「酒中趣」はこれ以降、中国の詩人たちが愛して詩に用いる言葉となったが、そのひとつ蘇軾(そしょく・11世紀)の作に「たまたま酒中の趣を得たれば、空杯また常に持す」という文言があり、中国のインターネットのQ&A「知道」にこの結句の意を問うものがあって、「菊を採る東籬(とうり)のもと、悠然として南山を見る」(陶淵明の「飲酒」詩の第五)の超俗の境地としたのが最佳答案になっていた。他の詩に置き換えという手を使うあたり、さすが中国と思ったことであった。
 しかし「酒中趣」を詠み込んだ詩の白眉は何といっても8世紀の李白の「月下独酌」四首の第二であろう。「天もし酒を愛さずば、酒星天に在らず」で始まるこれは、酒礼賛の極致である。詩は「三盃、大道に通じ、一斗、自然(じねん)に合す。ただ酒中の趣を得んのみ、醒者のために伝ふ勿れ」と結ぶ。大道に通じ自然に合するのは無為無我の境地、末句は「下戸に言う必要なし」の意である。月と自分とさらに己の影の三者が花間に遊ぶ楽しさを詠った「独酌」の第一も忘れ難いが、この第二は酒を愛する詩人、李白の面目躍如たるものがある。鉄心が「酒中趣」を語るとき、この詩のことも併せ思っていたのは間違いないところであろう。


2012.1.16