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大垣つれづれ

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大垣つれづれ

本の行間に浮かぶ本の行方

手近の本を何気なく拾い読みしていると、以前見過ごしていた思いがけない記事に出会って驚くことがある。先日、洒落本の研究で高名な中野三敏氏の『本道楽』(2003・講談社)の頁を繰っていたら、名古屋の大学に勤めていたとき、栄の古書店で飯沼慾斎の蔵書印のある『解体新書』の揃いを掘り出したとあった。しかも初刷りで元袋付きとある。慾斎がこの本を大事にしていたことが良く分る。これを昭和40年代で八千円は安いと言うべきであろう。のちにその二百倍くらいの値段で必要な資料と引き換えにしたとのことである。果たしていま何処にあり、また市場に出たらどれほどの値がつくだろうか。状態も良さそうだし何しろ元袋付きという珍しさ、いまなら二百七、八十万か。美濃で初めての解剖を試みた慾斎旧蔵の『解体新書』、何かの縁で大垣に戻ってきて欲しいものである。
慾斎の本とのかかわりではもう一つ、明治20年生まれの中国文学研究の泰斗で、雅趣溢れる随筆集をいくつもものされた青木正児(あおきまさる)先生の『琴棊書画』(きんきしょが・初版1958・現在は平凡社東洋文庫で求められる)でも発見があった。こちらは慾斎の刊行した本についてである。昭和25年、新設の山口大学に赴任された先生は、寺の離れ座敷に格好のところを見つけてしばらくの住まいとされる。鼓東隠居と名付けられたこのお宅での日常に、「私はここに来てから野草にも親しみを覚え、飯沼慾斎の『草木図説』などに照して名を知る楽みも持ち始めた」とある。
先生が牧野富太郎の図鑑をお持ちのことは別の文章で承知していたが、慾斎の本までとは思わなかった。もちろんその草部であるが、さて先生のお持ちだったのは、田中芳男らが手を加えた明治初年の新訂版か、それとも牧野がかかわった明治末年の増訂版だろうか。でも先生のことゆえ、慾斎生前刊行の初版本かも知れない。『草木図説』は墨一色の刊本だが、葉表を墨、葉裏を白という慾斎の創意が成功して、その植物の図はまことに見やすく美しい。ひょっとしたら墨の中に白く葉を浮かび上がらせた若冲の版画にヒントを得たのではないかとも思ってみる。先生は植物の照合の傍ら、実はその頁を繰ること自体を楽しまれていたに違いない。となると、これはやはり初版、もしそうでないとしても同じ20冊組を踏襲した新訂版でなくては絵にならないと勝手に想像してみるが、この先生の愛蔵本もいま何処にあるのだろう。漢籍中心の名大の青木文庫には入っていまい。このようにたまたま文章に名が浮かび、そのいっときの所在が知られる書物には、何か旧知のひとのような懐かしみがあって、ついその行先が気になるのである。


2011.9.20