を持たない町に住む伊藤さんが大垣まつりとかかわりを持つようになったのは小学5年生の時。相生を持つ本町の人たちが「相生は本町のでなく、大垣市の。預かっているだけ。他の町の人でもやりたい人には仲間になってもらおう」と、伊藤さんが通う大垣市立東小学校の児童に、まつりへの参加を呼び掛けたのがきっかけ。東小学校の横笛クラブに入っていたことや、小さなころから家族で大垣まつりを見に来ていた伊藤さんは横笛や太鼓の囃子方として輪の中に入った。毎年、練習やまつり当日も積極的に参加。その姿が認められて高校に入ると、人形方を任されるようになった。長い歴史を持つ大垣まつり。女性がの上に乗る人形方を任されるのはきわめてまれ。最近になってからとか。
「大垣まつり」は、1648(慶安1)年に初代大垣藩主・戸田氏鉄公が大垣城下の総氏神だった八幡神社を再建した際、城下10カ町が10両のを造って曳き回したのが始まりとされる。その後、1679(延宝7)年に3代藩主・戸田氏西公から、新たに神楽、大黒、恵比須の3両を下賜された。しかし、濃尾震災や第二次世界大戦中の大垣空襲などにより多くのを失ったが、2012年までに13両のすべてが再建された。2015年3月に国の重要無形民俗文化財に指定された。毎年5月15日直前の土、日曜日に開催される。
「相生」は、能からくり。謡曲「高砂」を主題としており、別名「高砂」とも呼ばれる。1945年7月の戦災で焼失したが1996年に51年ぶりに再建された。高さ5.66メートル、幅2.75メートル、長さ5.98メートル。13両の中では一番大きな。人形は、帆かけ舟に変身する「阿蘇の神主・友成」と、面かぶりをする「住吉明神」。伊藤さんが主に担当するのは友成。謡(うたい)に合わせて、3人で糸を操り、人形を動かす。「3人のタイミングがあった時の感動は格別。3人だけでなく、謡にも合わなくてはならず大変ですが、喜びも格別です」。4月16日に、相生の飾り付けが行われ、からくりの練習も始まった。
「私は本町には住んでいませんが、気持ちは本町の人間。続けられる間は相生とかかわっていきたい」と話す伊藤さん。相生の世話役の本町の人たちも「他町内の人とは思っていない。仲間です」と温かく見守る。東京や茨城などの大学に通いながらも、大垣まつりには大垣市に帰ってくる他のの若者たちともツイッターでやりとりをしているという伊藤さん。「江戸時代から長く受け継がれてきた大垣まつり。未来に受け継いでいきたい。これからは、若い世代で伝統の大垣まつりを盛り上げていきたい。そんな交流の場が出来るとうれしいですね」と明るく話す。 本番が待ち遠しい。
2017.05.01(子林 光和)