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伝統のある「大垣まつり」で相生やまのからくり人形を操る人形方、伊藤 友紀子さん(20)


「若者たちで盛り上げたい」
と語る伊藤友紀子さん
 国の重要無形民俗文化財の「大垣祭(大垣まつり)のやま行事」。昨年末には、全国32件の「山・鉾・屋台行事」とともに、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産にも登録された。登録後初の「大垣まつり」は、5月13、14日に開催され、13両のやまが岐阜県大垣市中心部を曳き回される。やまの上では、からくりや踊りが披露され、華麗な祭礼絵巻を繰り広げる。相生やまのからくり人形を操る伊藤友紀子さんは人形方としては珍しい女性。「たくさんの人に見ていただくのは緊張しますが、喜んでもらえたらうれしい。大垣のまつりから世界のまつりとなった大垣まつり。今年も多くの人に見に来ていただきたい」と、呼びかける。


八幡神社前を曳き回される相生やま
=昨年の大垣まつりで
 やまを持たない町に住む伊藤さんが大垣まつりとかかわりを持つようになったのは小学5年生の時。相生やまを持つ本町の人たちが「相生やまは本町のやまでなく、大垣市のやま。預かっているだけ。他の町の人でもやりたい人には仲間になってもらおう」と、伊藤さんが通う大垣市立東小学校の児童に、まつりへの参加を呼び掛けたのがきっかけ。東小学校の横笛クラブに入っていたことや、小さなころから家族で大垣まつりを見に来ていた伊藤さんは横笛や太鼓の囃子方として輪の中に入った。毎年、練習やまつり当日も積極的に参加。その姿が認められて高校に入ると、人形方を任されるようになった。長い歴史を持つ大垣まつり。女性がやまの上に乗る人形方を任されるのはきわめてまれ。最近になってからとか。
 「大垣まつり」は、1648(慶安1)年に初代大垣藩主・戸田氏鉄公が大垣城下の総氏神だった八幡神社を再建した際、城下10カ町が10両のやまを造って曳き回したのが始まりとされる。その後、1679(延宝7)年に3代藩主・戸田氏西公から、新たに神楽、大黒、恵比須の3両やまを下賜された。しかし、濃尾震災や第二次世界大戦中の大垣空襲などにより多くのやまを失ったが、2012年までに13両のやますべてが再建された。2015年3月に国の重要無形民俗文化財に指定された。毎年5月15日直前の土、日曜日に開催される。


相生やまの中で、人形からくりの
練習をする伊藤さん
 「相生やま」は、能からくりやま。謡曲「高砂」を主題としており、別名「高砂やま」とも呼ばれる。1945年7月の戦災で焼失したが1996年に51年ぶりに再建された。高さ5.66メートル、幅2.75メートル、長さ5.98メートル。13両の中では一番大きなやま。人形は、帆かけ舟に変身する「阿蘇の神主・友成」と、面かぶりをする「住吉明神」。伊藤さんが主に担当するのは友成。謡(うたい)に合わせて、3人で糸を操り、人形を動かす。「3人のタイミングがあった時の感動は格別。3人だけでなく、謡にも合わなくてはならず大変ですが、喜びも格別です」。4月16日に、相生やまの飾り付けが行われ、からくりの練習も始まった。


友成人形を大事そうに持つ伊藤さん
 「私は本町には住んでいませんが、気持ちは本町の人間。続けられる間は相生やまとかかわっていきたい」と話す伊藤さん。相生やまの世話役の本町の人たちも「他町内の人とは思っていない。仲間です」と温かく見守る。東京や茨城などの大学に通いながらも、大垣まつりには大垣市に帰ってくる他のやまの若者たちともツイッターでやりとりをしているという伊藤さん。「江戸時代から長く受け継がれてきた大垣まつり。未来に受け継いでいきたい。これからは、若い世代で伝統の大垣まつりを盛り上げていきたい。そんな交流の場が出来るとうれしいですね」と明るく話す。 本番が待ち遠しい。
2017.05.01(子林 光和)

今回の西美濃な人

伊藤 友紀子(いとう ゆきこ)

 東海学院大学3年生。大学を卒業したら、地元・岐阜県大垣市で幼児教育に携わりたいという。中学時代は合唱部の部長を務めた。趣味はアニメ。特に大垣市をモデルにした「聲の形(こえのかたち)」は好きで、原作本を持っているほか、映画も見に行ったとか。明るく周囲を楽しくしてくれる女子大生。「何事にも熱心な人。小さな子どもの面倒もよく見る優しいお姉さん」と周りの人たちの評判は良い。大垣市南高橋町で祖母と両親、高校1年の弟の5人暮らし。


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