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ととのふるさとをPRする「時まちづくり活動推進実行委員会」事務局長、伊藤 芳さん(72)


上石津の特集が組まれた
「暮しの手帖」を手にする
伊藤芳さん=時公民館
 放送中のNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルとなった生活総合雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎮子(おおはし・しずこ)さん(1920〜2013)の父親が生まれ育った岐阜県大垣市上石津町時地区に「時の郷はとと姉ちゃんのとと(父)のふるさと」と書かれた3枚の看板が掲げられている。設置したのは、時地区の有志でつくる「時まちづくり活動推進実行委員会」のメンバー。看板を見た人たちからの問い合わせもあり、伊藤さんたちは「多くの人に来ていただき、大橋さんの父親らが育ったふるさと・時地区の良さを感じてもらえたらうれしい。まちの活性化につながれば…」と、期待を込めて話す。
 同実行委員会などによると、鎮子さんの父親・武雄さんは1892年、旧岐阜県養老郡時村(現・大垣市上石津町時地区)の旧家・富田家の3人兄弟の二男として生まれた。父親を早く亡くしたこともあって、10歳の時に東京・深川で材木商を営んでいた親戚・大橋家の養子となった。武雄さんは、30歳を過ぎたころに肺結核を患い、療養のために時村に戻るが、1930年に30代の若かさで亡くなった。鎮子さんの自伝「『暮しの手帖』とわたし」では、生まれ故郷に戻って静養する父親を彼女自身が見舞ったり、戦時中の食糧難をしのぐために汽車とバスを乗り継いで米や野菜をもらいに時地区に来るなどしているという。


「時の郷はとと姉ちゃんのとと(父)の
ふるさと」と書かれた看板=時支所前
 看板が設置されたのは、大垣市役所時支所前広場のほか、上石津トンネルを抜けて時地区に入ってすぐと、「憧れのハワイ航路」や「赤いランプの終列車」など数々のヒット曲を生み出した作曲家、江口夜詩(1903〜1978)を顕彰する記念館がある「日本昭和音楽村」入り口の国道365号沿いの2カ所。支所前は横6メートル、縦1メートル。他は横が半分で、縦は同じ大きさ。デザインは、看板会社で働いた経験がある実行委員会メンバーが手掛けた。

 「高齢化と過疎化が進む時地区を何とかしなくては」と、地元有志が結成した「時まちづくり活動推進実行委員会」や、自治会を中心とした「時ふるさとづくり協議会」に伊藤さんが入会したのは12年前。実行委員会や協議会では、時地区の人口増を目指して空き家対策や移住・定住に積極的に力を入れており、近年には数多くの家族が移住している。


「とと姉ちゃんと上石津」の企画展
=上石津郷土資料館
 伊藤さんは「名古屋市などから、かみいしづ緑の村公園やゴルフ場に訪れる人、国道365号を通過した人たちなどから時支所へ『父親の生まれた家はどこ』などの問い合わせもあり、資料も提供している。時地区は400軒ばかりの小集落ですが、鎮子さんが訪れた当時の懐かしいふるさとが残っている。商店もあり、来ていただいた人たちからは『養老山脈の裏側にこれだけの里があるとは知らなかった』などと喜ばれている。ドラマが今後どうなるか分からないが、都会からの移住者が増えることにつながればうれしい」と語る。


「とと(父)のふるさと」
紹介リーフレット
 大垣市上石津町の上石津郷土資料館でも、企画展「とと姉ちゃんと上石津」が開かれ、上石津の特集が組まれた1954年の「暮しの手帖」23号と1985年の98号や、抜粋紙面を拡大コピーしたパネルが展示されているほか、鎮子さんの自伝「『暮しの手帖』とわたし」も紹介している。8月末まで。大垣観光協会も時地区の地図に関連施設の場所や簡単な紹介を記した「とと姉ちゃんの父(とと)のふるさと紹介リーフレット」(A4三つ折り)を1000部作成。日本昭和音楽村などで希望者に配布している。
2016.07.01(子林 光和)

今回の西美濃な人

伊藤 芳(いとう かおる)

 元大垣共立銀行員。定年退職後、地元の連合自治会などから「地区の仕事を引き受けて欲しい」と頼まれ、岐阜県大垣市上石津町時公民館長に就任。さらに今年4月には、岐阜県移住定住推進会議から、移住希望者と地域住民をつなぐ「清流の国ぎふ移住定住コンシェルジュ」の委嘱を受け、忙しい毎日が続く。健康法は「毎日夜5〜6キロ歩く」ことと、酒が好きでウコンを栽培し毎日飲むこと。趣味は尺八と渓流釣り。だが渓流釣りはこの3年ほど「ご無沙汰」とか。大垣市上石津町で妻と2人暮らし。敷地内には会社員の長男夫婦と孫2人が住む。


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