垂井町史などによると、長原武は、1823(文政6)年に現在の垂井町岩手で旗本・竹中家家臣の三男として生まれた。幼少の頃から漢学や武道に親しんだ。外国船がしばしば日本へ来航するようになり、世情不安となった嘉永・安政年間(1848〜59)に江戸に遊学。山鹿流の兵法を学び、吉田松陰らとともに「山鹿素水門下の三秀」とも称せられた。松陰は長原や大垣在住の友人に会うために大垣を訪れたほか、長原宛ての書簡などを残している。松陰が長州でとらわれの身だった頃には、江戸に出る知人や門下生たちの面倒を見て欲しいとの紹介文を書いているという。しかし、長原は病気がちで、その後に郷里の岩手に戻り静養していたが、1868(慶応4)年に46歳で亡くなったとされている。
垂井町で生まれ育った太田さん。教職を務める傍ら、1955年ごろから地元・垂井や中山道の研究に励み、「中山道の研究」や「中山道美濃十六宿」などを執筆してきた。そんな中、「失われ、忘れ去られていく中山道の文化遺産を少しでも後世に伝えたい」と、「中山道ミニ博物館」を開館させた。岐阜県は「まちかど美術館・博物館普及事業」第1号として開館した年に指定している。ミニ博物館や自宅には江戸時代の旅用具や中山道の宿場を描いた版画など、街道に関する街道史料、民俗史料、街道関係図書など1万1000点以上が収蔵してある。今回の特別展では、松陰直筆の書や長原が愛読した兵法書のほか、武の長男で洋画家として活躍する一方、東京美術学校(現・東京芸術大)教授として多くの学生を教えた孝太郎(1864〜1930)と、孫で父・孝太郎の指導を受けた洋画家で東京都立高校の美術講師を務めた坦(1907〜86)が描いた絵画やスケッチなど計約90点が展示してある。
ミニ博物館には今年5月16日に岐阜県大垣市で開かれた明治維新で活躍した人を顕彰する霊山顕彰会岐阜県支部の創立35周年記念総会で「吉田松陰とその家族こそ維新の底力」として題して記念講演した所功・京都産業大学名誉教授が講演前に訪れているほか、街道研究家や歴史愛好家などが県内だけでなく、全国各地から勉強や見学に来ている。ミニ博物館は入場無料だが予約が必要。希望者は太田さん方(TEL 0584-22-2897)へ。
名古屋市や東京、京都などにも出かけて史料を集めてきた太田さん。北海道開拓史も執筆しており、今年5月24日には帯広県人会創立100周年記念式典にも招かれ、感謝状を受け取った。太田さんは「教え子や関係者など、多くの人の協力でミニ博物館を充実することができた。これからも地域のお役に立ちたい」と意欲的だ。
2015.08.03(子林 光和)