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ひまわりからのメッセージ

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梅雨の季節の傘の思い出

 雨が続き、傘が手放せない季節になりました。

 私には、傘にまつわる思い出が二つあります。一つは小学校時代。私は体が弱くてすぐに高熱を出し、肺炎をおこすような子どもでしたので、学校をよく休みました。だから学校に行ける時は楽しくて仕方ありませんでした。

 梅雨の頃は、よく傘をこわして母に叱られていました。雨降りの朝は傘をさして登校するのですが、帰りには晴れて傘がいらなくなると、ついつい傘で遊んでしまうのです。近くに流れている小川に傘をつっこんで、傘の中に水を溜め、反対向けて、ジャーッと水を流すのですから新品の傘もたまったものではありません。決して豊かではなかった家計の中で、きっと母は苦労をしたに違いありません。泣き虫の私が元気に登校できるようになると、いつもこんな調子で、いたずらを探しているような子どもでした。

 そんな私が高校生になり、知人がピンクの花柄の折りたたみ傘をプレゼントして下さいました。校則では、黒又は紺と決まっていたのですが、私はうれしくて、ある曇空の日、その傘をかばんにしのばせて持って行ったのです。ところが、その傘が紛失してしまいました。叱られるのを覚悟で担任の先生に報告に行きました。「どんな傘だ?黒か紺か。」「いえ、ピンクです。」「持つ所がピンクか。」「いいえ、布の所がピンクの花柄です。」「そうか…花柄か…。でも今度買ってもらう時は、黒か紺にしてもらいなさいよ。」

 五十年も前の先生との会話と、その時の先生の声までも、今も思い出すことができます。校則を破ったことを叱るでもなく、さり気なく諭された先生のことばは、ずっと私の心に残ったのでした。

 その後も先生は、私の大学時代の保証人となり、福祉の道に進んだ私を、ずっと亡くなるまで見守って下さいました。よほど私は心配な生徒だったのでしょう。叱らないことで私の心を温かく包んで下さった先生のことを、この季節になると思い出し、私もそんな人になりたいなあと思うのです。

 先生が大垣南高校の校歌の作詞者であったことを知ったのは、ずっとずっと後のことでした。


2016.6.13 発行



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