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第十二番札所 施無畏山 観音寺

第十二番札所 施無畏山 観音寺

寺院紹介

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基本情報

宗派 曹洞宗
本尊 十一面観音
創建 慶安元年(1648年)
開祖 白峯玄滴和尚
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歴史

 中山の観音寺は春日村(現在は揖斐川町春日)で1ヶ寺の曹洞宗で、養和元年(1181年)の創立と伝えられ、元天台宗であった。観音寺の由緒によると、創立当時は万年山元正庵(源尚庵?)と称し、現在地より上方200mの寺跡地といわれるところにあったが、弘安年間(1278年~1287年)に現在地の東に(通称,兵太夫屋敷)へ移転したという。また同書には、「慶長元年(1596年)天台宗より離脱、無住となり廃寺同様となる。その後、慶長5年(1600年)9月、関ヶ原合戦に敗れた西軍の将小西行長が逃れ来て、当時の寺に隠れたが、不破郡岩手城主、竹中丹後の守によって捕る。その翌年、慶長6年(1601年)美束種本から千手観音、釈迦、大日如来の三尊を譲り受け、当寺に安置、慶安元年(1648年)大垣城の戸田初代藩主氏鉄公の嫡子釆女正氏信が旧元正庵を禅宗観音寺と改め、中興し、玄滴が当寺開山の第一祖となる。万治3年(1660年)12月、氏信公の妹北の丸おさい様の要望により、本尊の千手観音像を安八郡北一色村栄春院に移し、代わりに別の仏像を当寺に納めた。これが現在の本尊千手観世音である、とあるが、「揖斐郡志」や「春日村古今の事蹟明細記」には転派時期について異説がある。享保18年(1733年)中山集落の大火により焼失、大垣藩の5代藩主氏長より用材の払い下げを受け、再建されたが、安政年間(1854年~1860年)再び焼失した。このため10代藩主氏彬より再建費300両の下付を受け、文久元年(1861年)再建、普門山観音寺を施無畏山観音寺と改めた。

交通アクセス

【アクセス情報】
住所  : 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日中山2725
連絡先 : 0585-57-2261
アクセス:
  • 近鉄揖斐駅より古屋行バス,中山下車,徒歩5分