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■大垣つれづれ
◇赤坂宿の熊坂長範
 大垣付近を舞台とする能には「養老」、「烏帽子折(えぼしおり)」などもあるが、能としての深みということでは、まず「朝長(ともなが)」と「熊坂」であろう。ともに中山道が整備される以前の東山道の宿場が過去の出来事の舞台となっている。「朝長」についてはいずれ触れることにして、今回は「熊坂」を採りあげよう。この能は五番目物、つまり切能で、むかし一日に五番の演能をしたとき、その最後に置かれたジャンルに属する。主人公は熊坂長範。平安末期の大盗賊ということになっているが、まずは伝説中の人物で、「熊坂」の能では赤坂の宿を襲っているが、日本じゅう各地に彼が居たとする遺跡があって、数えたひとによれば14県にもわたるという。この近くでも、上石津の時の烏帽子岳(熊坂山、熊坂谷)の山中に隠れ住んでいたとする伝えもある。もっともここから赤坂や青墓宿あたりに出没するのは可能だから、これはひとまとめに考えて良いのかも知れない。
 さて能の「熊坂」は、長範が率いる大盗賊団が奥州に下る金売り吉次の一行を赤坂宿に襲ったところ、その一行にまだ16歳の牛若が居て返り討ちに会い、ついに長範は63歳で赤坂の土となるという幸若舞にも共通の少年牛若活躍譚であるものの、そこに老いた長範のペーソスを描き込むことで一味違う世界に私たちを誘う。この能の主役はあくまで長範で牛若は登場せず、長範の幽霊が争いの様子を語るのみである。夢幻能の通例で東国行脚を志す都の僧(ワキ)が青野ヶ原を経て赤坂宿に着くと一人の僧(前シテ)が今日が命日の人があるので回向をと頼む。前シテが面(おもて)を付けない直面(ひためん)でワキと同じ僧形という珍しい設定に不気味さが漂う。赤坂の僧は自らの庵室に案内するが、そこには仏像が無く薙刀や武具が立て置かれるのみだ。訳を尋ねると、この辺りは物騒で難儀に会う者も多く、それを助けるためと言って姿を消すが、もちろんこれは長範の幽霊。後シテは怖し気な面を付け大薙刀を担いで現れて、自らの語りと所作のみで牛若との死闘の一部始終を語る。この一人芝居が見どころで、友枝喜久夫によるこの曲の仕舞を見た渡辺保は、「ここは牛若丸、ここは熊坂と交互に二人の姿が一瞬のスキもなく入れかわる」(友枝喜久夫仕舞百番日記)と評している。
 この能で長範は凶悪犯というよりも敏捷な相手への対応に苦慮する年老いた盗賊首領として描かれている。彼の伝えには生き延びて仏門に入って終わったとする話もあり、義賊だったという話もある。何れにせよ彼は憎めない存在なのである。伝説の各地にある「熊坂長範物見の松」にもどこかしらユーモラスな気配が漂う。街道を見通す位置に立つ松の巨樹、長範はその樹上にあって獲物は来ぬかと手をかざす。フェリーニの映画「アマルコルド」で、心を病んだ叔父さんが草原の大木に登って降りてこないシーンがつい思い出される光景である。東京渋谷の道玄坂の名の由来に、坂上から分かれる松見坂、いまの淡島通りにやはり盗賊の「大和田道玄物見の松」があった故とするのがあるのも、また同じ根から生まれた話であろう。菊岡沾涼(せんりょう)が『江戸砂子』に美濃の熊坂の松と同様な伝えと指摘している。青野ヶ原のそれはかつて綾戸古墳の上に在ったとするが、19世紀半ばに枯れて切られ、それを用いて仏像が刻まれたとの伝えもある。
2015.3.24

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