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■大垣つれづれ
◇花を見るのは半開のとき
 小原鉄心が自身の酒にまつわるエピソードを集めた『飲夢』という小冊子があることは、以前この「つれづれ」で紹介した。この本に面白い勘違いの話が載っている。鉄心がちょうど江戸詰めになっていたときのことだ。藩の公事に彼の意にそまぬものがあり、直言したらすっきりするかと思っていた。そこに親友、高岡哲夫の手紙が大垣から届く。開けて見ると、ただ一句、「よき花を見るには半開の時に到れ」とだけある。そうか、彼は自分が直言しようとしているのを知って、あまりのぼせ過ぎないようにと諌めてきたのだと思い、やがて落着いてみて、あのとき慌てなくて良かったと感ずる。さて大垣に戻って高岡に会い、おかげでと礼を述べると、とんでもない、君が酒を痛飲すると聞いたので、微酔の楽しみを知ったほうが良いのでは、というつもりで書いたのだと言う。実はこの句は11世紀の学者、邵雍(しょうよう)の詩から引いたもので、この前に「美酒を飲むは微酔ののち」という句が対になっているのである。
 つい飲みすぎる人間にはまったく耳の痛い言葉だが、このうち「花は半開がいい」、「花は開ききらないうち」という文句自体は唐の李白や白楽天の詩にも出てくる。だがこれを「酒は微酔」と組み合わせたのは、北宋の邵雍が最初のようだ。中国の文人のエッセイでは、自分が気に入る言葉があると、誰の言といって断わること無く勝手に拝借しても構わないようで、良く同じ文言に出くわして、あれこれはどこかで見たと思うことがある。この場合もそうで、「美酒は微酔」、「好花は半開」という組み合わせは、それ以降のいろいろな本でお目にかかる。明の洪応明の有名な『菜根譚』にも「花は半開を看、酒は微酔に飲む。此の中に大いに佳趣あり」とある。日本でも貝原益軒の『養生訓』に、「邵雍の詩に『美酒は微酔の後』とあるのは、酒の飲み方の妙をついたものと、かの李時珍さん(『本草綱目』の著者)がおっしゃっている。少し飲んでちょっとばかし酔うのは、酒害も無く酒中の趣が味わえて楽しみが多い」と、これは健康の話だから酒のほうだけを引用している。益軒先生、わが意を得たりというところである。
 さてわが鉄心は、当然のことながら酒を礼賛してこの話をしめくくる。私はつねに酒を愛し、酒また私を愛してくれている。今回の勘違いにしても、まさしく酒のおかげで良い結果になったのだ。嗚呼、酒の徳を忘れてはいけない。漢の高祖、すなわち劉邦は、「酒は人間を大きくする」などとうそぶいて大酒呑みをしていたのがついに天下を取ったのだ。「酒、また貴ぶべきかな」と。
2012.8.20

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